英語のnote(勉強用) 

叙述から論理への円滑な移行をずっと見ている。

 

へー。勉強になった。

1は「指摘」「適示☟」、2は「主観」「内観」のように思えた。また、

1はダウナー系(非アッパー系)、2は「辛味」(要は、煙が。)のように思えた。ただそれは、オレガノの辛み成分ではなく、(有機物の不完全燃焼でできる)タールという意味でしょうか(煙草の「辛さ」の素因の一つらしい)?知らない。

”barely”はフランス語の

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を見ていて、ある(べき)ものがない、()に減じるアプローチが入るような印象を受けた。
Cf. 進行形~ing 基準(終算時)を想定して「中間(平均)」(cf.目的を指示するfor)

☞法律用語?

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語学は大変で、あっちこっち見ていると、ほとんど進まない。
以前、なんでこんなことを「note」と注記して残していたか、思い出した。
書きなぐりなので、見るからに頓珍漢なのだが、要は、そのときはそれが疑問だったということである。

今の若い生徒、児童は優秀なんだけれど、それは若い先生たちが優秀ってのも、あるんだよね(本当に勉強になる。再勉強ってした方がよい)。昔は優秀じゃなかったというより、どうしても物理的制約が(今では想像できないほど)大きいせいで、それが情報環境を決定していたから、仕方がなかったのだろうと思う。

すなわち、それが「夏目漱石はなぜ『オセロ』を理解できなかったか」ということだと思っていて、夏目漱石が、もちろん、優秀じゃなかったわけではないけれど、彼が使っていた教科書が当時の「プロテスタント標準」では、地中海世界の理解には自ずと限界があっただろうと思う(つまり、文学の理解なのだが、歴史学の歴史でもある)。

フランス語の教科書(The shit!)をようやく見つけて、『ふらんす笑話集』をすこしずつ読んでいる。著者の東京外国語大学を卒業し関西大学で教えていた先生は、もちろん語学の専門家で、戦時は徴兵されて、その語学力で通訳もしていたらしいけれど、それでもしばしばニュアンスの面で疑問に感じることが在る(自分の理解が誤っていることも当然に考えられる)。
その戦線は大丈夫だったか少し不安になった次第である。