功過自知録⑪

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関孝和『解隠題之法』について

(禍福)をのれより求めざるものなしと、孟子にみえたり。積善の家にハ餘の慶あり。積悪の家にハワざわひ ありと、易経に聖人の説玉へバ、禍福壽夭、我所行をさしをき、唯天命也といふハ、大なるひが事也。若功過格を修して、 志るしくバ、励ていよいよ修行すべし。必其霊験を かふむり  し事、古今の書籍にのせてあきらか也。よしやたとひ志るしなくとも、悪をやめ、善をなすハ、天地の理、人間の常道なり。外に論ずべきなし。
蓮池大師云。功過格の利益ハ、現在の果報なりといへども、則来世の果報となりて、功徳はかるべからず。


当時(直前に)、中国で急速に発達した数学的概念の利用があるか。

ようやく少し読めるようになってきたが、まだすらすらとは読めない。

僻事 ひがごと(へきじ)

って言葉があるんだね。

「利益を被る(蒙る)」という表現は誤っていますか? - 「こ... - Yahoo!知恵袋

蒙るは「かがふる」「こうふる」「こうむる」なんだね。

この書では、「奉行して利益を かうふ る」がある。一方で「  かふむり  し」がある。これは「象し」かと思った。

「霊験」と「験」はいずれも「しるし」なんだけれど、二回目以降は崩して「験」で済ませるルールがあるらしい。「崩し字」が簡略化だから。

 

 

まだ全部読んでいないが、もしかしたら、こういうことかもしれない。

「そ」ではなく「所」であるだろう。
「あまる」概念と「純善」概念の関係をどう理解するかにもよるが、仮に、「余りが出た日のうちで、純粋に善のみであった場合、その善を(除けて)ストックする」だとすると、収支は、それを除いた「フロー」の差し引きになる。

例えば、2月を見ると、「純善」は8(善)だが、それを除いた「差引」は1(過超)である。これを締め日ごとに計算して、期別で割ると、(善を目指す限り)フローが締まるという工夫になっている。

要は、これまで頑張って功徳を積んだから、ここいらで少し「手を抜く」なんてできないということらしい。頑張った分は除いて、それほど頑張らなかった分が真に評価対象となるからである。そうして、ひたすらパーフェクトを目指すこととなる。

そうすると、ずっと得意なことを繰り返してもよいのだけれど、捗々しくなかったら、別の「類」の努力が必要になる。

これを作ろうと思ったら、日々の行動記録を帳面に付けることになるが、それを集計したこの表を受けて(「受持」という述語が文中に出てくるが※)、行動の修正が企図されるときに、「忠孝類」「仁慈類」「雑善類」(「三寶功徳類」)の仕分けが要るのかもしれない。

※こういった述語の理解を進めてゆく必要があるらしい。

「純善」とは混じりけがないという説明が在って、当たり前すぎてどう理解すればよいのか迷ったが、「あまる所純善凡得」は、「あまった所の「純善」はすべて得て、(差し引きに利用して)失うことのないようにしなさい」という意味なのかもしれない。

このとき、一応月締めではあるが、15日ごとに集計した方が良いということで、これが事実上「平均の原則」を構成していると言えるかどうかである。


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これ面白いな。

「2n個の角について交互平均化を無限回繰り返したときすべての角は等しくなる」→「円に内接する多角形の中で、面積が最大になるのは正多角形であることの初等的な証明」

cf.不定方程式(ユークリッドの互除法を用いた方法)
ユークリッドの互除法とは?証明ややり方をわかりやすく解説! | 受験辞典

【メモ】
不定方程式 NXーMY=P(ただし、N=X-1∑n, M=Y-1∑m)を変形して、 NX-P=MY のとき、(N,M)を交互平均することで(Qを)最大化するアルゴリズムを得る(→X=Y)

 

 

1654年、パスカルフェルマーの間で、4か月かけて交わされた一連の手紙がある。

生起する事象の「測度」とは何か。

 

情報量 - Wikipedia

費用は目に見えない資産でもあります。

資産と費用の違いやその関係性を正しく理解する | 社長のお悩み相談所

これを参考にして、『功過自知録』の記帳は

  1. 1善/1過=100銭。量が(左右)対称を持つ、貨幣の尺度性
  2. 「純善」のストック。フローの交互平均

が成立しているみなせるだろうか?

費用性資産と貨幣性資産をわかりやすく解説 | クラウド会計ソフト マネーフォワード

例えば、100銭1善のところ、今月は20銭で締めて来月に「繰り越し」た場合、「前払い」になるのか。まだ「善」にも「福」が現実化していない中途の段階である。

反対に、まだ「善門」に着手した段階で「善」乃至「福」の利益を得、善行が完了していない場合、「繰り延べ」ということがあり得るだろうか?すなわち、「三宝功徳類」の具体的内容で、一部の寄進で寺社が建立された場合(借金した場合)、一部で寄進はあったが十分でなく、寺社が建立されない(借金しない場合)など。一部のみで「善行」(寄進)が十分満たされていない。「善」「宝」「福」の不一致。

繰延資産とは?償却方法や仕訳例をわかりやすく解説 | クラウド会計ソフト マネーフォワード

「寄進」と「徳政」と破産者の関係。なぜ、「仁政」ではないのか?
そもそも、その金融の原資は寄進やないか、という遺憾。
寄進ならばとっくに、功徳を積んでいる「積徳」だろうというね―だから、悔いなし。

悔返 - Wikipedia

功過自知録序 こうくハじちろくじょ

此書 このしょ ハ、人に ぜん すヽめ て、 てん の福を受けしめ、悪を戒て、禍をのがれしめんが為にしるせり。功の字ハ、いさほしと訓じて、何にても、精を出し苦労したるしるしの、一際きつと見えたる事をいふ也。善を行へバ、広大無辺の利益、功徳のしるし顕るヽゆゑ、善といはずして、功といふ也。過の字ハ、あやまちと訓じ、又とがとも訓じて、あやまちしぞこないの事也。悪事をさしていふ也。自知とハ、ミづからしると云義にて、我身の善悪を我心にわきまへ、善なれぞよろこびておこなひ、悪なれハ、おそれ戒むべき事を、毎日善悪を暦日の上に書付て、覚知といふ事也。録の字ハ、しるすと訓じて、記録する事也。袁了凡、雲谷禅師より、功過格を授り、自身によくつとめ行て、所願成就せしより。陰騭録、又善悪慶殃編を作りて、功過十一品の格をしるせり。雲棲蓮池大師ハ、自知録を作りて、善門、過門の、八類を分て、 くわ しくしるせり。此書物皆華文にて、愚蒙の人に通じがたし。よつて右の 書物 しょもつ こころ とり て、 真文字 まなもじ をやハらげ、 仮名 かな あらハ し、功過の次第、愚蒙婦女の、よくがてんして、受持信行し、悪を遠け、善を積、禍を免れ、福を受ん事を、こひねがふもの也。若此書、衆生普く信行せバ、家富国栄て、天下長久太平ならん事、疑ひなし。古語に、一善おこなヘバ一悪をさる。一悪さるときハ、一刑をやむ。家に一刑をやめバ、国に萬刑なふして、天下自安寧也といへり。現世の利益かくのごとし。来世の果報、豈空しからんや。 ことば 鄙陋 いやしき  をもつて、いるかせにする事なかれ。云爾」

いるかせなりの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

ここで問われていることが、

仁 - Wikipedia

孟子なのか、老子なのか。つまり、それは、「御法」なのか「天下大法」なのかであって、反対に、前時代にあってはどうだったのか。

ここで「功」「過」「福」「禍」「善」「悪」が分けられている。

というかね、「ち」の横棒を省略したら、「り」「わ」と区別つかねえだろ。仮名で書けばよいってものじゃない。


腹式簿記がそれ自体画期的であるという理解には少し疑問を感じていて、(これが直ちに「複式簿記」と言えるかどうかは分からないが)こういった、それに至る経路がいくつも社会には準備されていたのではないかと思う次第である。

また、近江商人の「複式簿記」を特徴づける「名寄せ帳」に関して言えば、簿記の発展以前に(主体間の)契約観念の発達があっただろうと思う(上の話では、自己たる一主体しか出てこないので、「名寄帳」は要らない)。