ただし勘定を締めるのは、人生の最後を迎えたときだけである。この「心の借り」を返すことが悔悛だとすれば、これもまた会計的概念の一種と言ってよかろう。このように金銭の会計は心の会計と対をなしており、精神生活の重要な部分でもあった。

ジェイコブ・ソール. 帳簿の世界史 (文春文庫) (p.56). 文藝春秋. Kindle 版.

赤字強調は引用者

  1. イタリア中世の「改悛」と日本中世の「悔返」の違い
  2. 「徳政」はこのような「心の会計」と「金銭の会計」の清算だったか。
  3. それが会計技術の発達により解消へ向かったか

ということである。日本で言うなら「閻魔大王のリストラ」はこうして起こったのではないかということ(顕密仏教・南北嶺→戦国仏教→三教一致)。

雲棲袾宏(うんせいしゅこう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
日本の仏教 - Wikipedia

浄土真宗にあっても「絶対他力」と「他力本願」に「自力」の要素も認めてゆく北陸勢とがあったようなので、そういったこと。

中国の剰余定理 - Wikipedia

中国浄土宗の「功過録」において、「ユークリッドの互除法」(を使った不定方程式)に類するアルゴリズムを通じて、「交互平均化」のメカニズムを実現して、それが浄土教を信奉する近江商人複式簿記へ結実したのではないかと思うが、どうだろう。
ここでこのようなメカニズムを敢えて使うのは、単に 差し引きの 帳尻があえばよいわけではない 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 からだ。何かしらの 方向付け 、、、、 を行う必要がある。ユークリッドの互除法は、平均と余りを出す操作の繰り返しに機能的に等しい。
この「あまり」が複式簿記の極意で、「功過自知録」において「純善」が、複式簿記のおいては「純資産」がそれに相当すると踏んだ次第である。
このとき、「交互平均」のアルゴリズムが、何かしらの「最大化」を実現する。
このとき、「平均」は積算できるその計算資源の性質(アレとコレとを区別なくいっしょくたに操作できる斉一性;よって、区別すべき計算資源を選別すること)をむしろさす(ごく簡単に言うと、「割る数」と「あまり」は「違う」ということである—「純善」は交互平均を出すには 対とならない 、、、、、、 量となっているーから除外する)。

徳政令 - Wikipedia

じゃあなんで、恩赦があったのだろう?

天武天皇以降、天皇もしくは太上天皇が病気になると大赦などの恩赦が行われた。これは儒教思想に由来する徳政が仏教思想に由来する応報と結びつき、恩赦によって仁の心を示して善行を施すという徳政を実施したことによる応報として、救病延年(除病延命)に預かることが出来るという理屈であった(『続日本紀天平勝宝8歳4月丁酉条所収の孝謙天皇の勅より)[15]

恩赦 - Wikipedia

社会経済の発達が、「徳政」を必須としない社会を求めたのではないか。
言ってみれば「徳(自然)法」「得道」すなわち「徳自」だ。
「天下」であっても「天子」を必要としない。
ただ、それは文献にでもあたらなければわからない。