ライプニッツがジャック・ベルヌーイに複数の場合への分解をまねかないよう忠告したことは一切なかった。すべての選択肢が一つの方向を指しているとき、ベルヌーイが純粋な(pure)状況と呼んだものがある。一方、対立しているとき、その状況は「混合(mixed)」しているのである。
P.153,第10章 確率と法,確率の出現
比例と平均から考えの流れを考える。
市場原理を歪める悪法があるから、ダフ屋、転売ヤーが生まれる。その原因であるチケット不正転売禁止法を廃止することが、コソコソと不正を働くダフ屋、転売ヤーの撲滅に繋がる。 https://t.co/tw769uCrLw
— 秦 智紀(はた とものり)|動画マーケティング|事業開発|MBA取得「ファイナンス修士(専門職)」 (@hatatomonori) August 31, 2023
なんでこんなに揉めるのかいろいろと考えさせるが。
「チケット」が(独立して所有できる)「資産」ではなく、そのものずばり「入場許可証」であるとき、まるで「寺内町」のような、コミュニティーのマーケットが形成されて、双方ともに、そちらのマーケットが重視されていて、その「富」が侵害されることに対する「不正」の認識があることが、正義の観念に反するようだ。
これは行動経済学的な話で、似たような実験があるらしい。
すなわち、AはBに対して金銭をいくら与えたらよいかを問う(その実、諾成契約に関する)試行で、BがAの申し出を受諾した場合にA、B双方が利益を得る条件が付されている。別の言い方をすれば、当座に「仮」にある金額を上限としてAが小切手を振り出し、事実上Bが決済する仕組みである(Bが決済して初めて当座も「仮」でなくなる、「受諾」の成就を原因とした停止条件である)。1円でもBの利益になるからいくらでもAは振りだせるはずであるが、Bが受諾しないことが知られている。
行動経済学的には別の説明が付されるが、法学的条件から考えると、この「当座資金」は、2人間のコミュニティーの「富」であり、ここでは「正義(の法)」が優先されるらしい。この「法」を成立させているのが不公平感であるのは、実験結果だ。
すなわち、契約は法によって成り立ち、法は 不公平感によって 成り立っている。
ただし、これが一般的に言えるかどうかまでは、わからない。
プラモデルの転売に反対するのと同じとみなしてよいかは慎重であって良いような気がする。
一方で、コンサートが世界的に見てもより大きな利益を生み出すようになった仕組みについて、考えることはできる(もちろん、80年代以降、マイケル・ジャクソンのような世界的なスーパースターも居たのであるが、テイラー・スィフトの成功は彼と比べてどうだろう。また、日本のマーケット形成はどうなっていいるだろう)。