一向一揆がなぜ、20万の兵力を誇りながら、「軍神」上杉謙信に負けたかよくわかった。

「機動力」とは外見上の観察による説明、原理的には「作戦行動」の違いである。

つまり、上杉は近世を押し開いた天才で(織田信長ではない。織田信長は近世までの社会変革を拡大させた功績はある。)、一向一揆は、生活金融の大規模展開という意味では、中世の完成者の側面がないではないが、そもそも「自治」に関しては、堺などの7大都市の方が「上」である。一向一揆には、特に防衛上の地の利があったと考える方が、わかりやすい。つまり、戦国大名化できない「へき地」だったのだ。

現代からすると、そんなことは当たり前すぎて、反対にわかりにくくなっているのだ。

呉座勇一なら、わかる。
続編を熱望している。一向一揆とは、まさにこの話なんだ。


これを挙げるのも、近代からの「逆評価」に注意しなければならないが、

敗戦後、かつての大日本帝国陸軍参謀たちはどうなったか。
「兵は優秀」がいかにばかげた評価か。
それは「(サッカーの)レイハーゲルシステムは優秀」と言っているのに、過ぎない。
カテナチオ」。全員守備で「つまらないサッカー」は選択の問題である。
「優秀」とは評価であるが、大日本帝国陸軍にあってそれを言祝ぐのは、政治的評価に過ぎない。
それが、戦前の日本が追及した、「民主主義」である。
この「民主主義」を以てしなければ、大日本帝国陸軍は、運用できなかったのだ。
それは兵がその資質に於いて優秀であったかどうかとは無関係である。
おそらくそんなことはない。きわめて「平凡」が相当だろう。それは別に恥じることではない。どの国も同じだからだ。