経緯がありすぎて、話がややこしくてかなわん。
学校に通っていたころには、「建武の新政」なんて遠いところの話で、(当時にあって)時代に逆行した 怪体 なことをやっとるなぁとピンと来なかったが、なんとも近場の話だったというね。
それを言うてよって、話が違うじゃんというね。
卦体・怪態・怪体(けたい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
これに対して庶民浄土教の流行する中世に入る12世紀末前後から、寺社霊験を語る後者が、念仏聖(ひじり)や絵解き僧の唱導活動によって全国に拡大される。内容は庶民啓蒙(けいもう)のための誇張された物語的霊験譚(れいげんたん)で、換言すれば叙事伝説といえる。
なるほど。
が届いた。ほとんど読んでいないが、『絵図で見る荘園の世界』などは「事実として」面白く、呉座さんは話がおもしろいんだよね。
歴史気象学というか、寒冷時代で、とにかく騒動が絶えない。
バイオリンの名器『ストラディバリウス』は小氷期の賜物か:CTスキャン分析 | WIRED.jp
小氷期が始まっていたらしい。
ただ、白山事件は12世紀だから関係がない。その時代からもう比叡山は暴れていたのだ。
次は、
と
が届く予定。在庫切れなのは、最後の1冊を僕が購入したからだね。
呉座さんは話がおもしろいというのは、やはり、これがオリエンテーリングだからだろう。初学者が読む「専門書への入り口」としての ではなく、素人が読む
すなわち、本当は、専門家と対となるのは2通り居て、[専門家/初学者]と[専門家/素人]なのである。「家」と「者」或いは「人」が対立している。素人の対義語は玄人であり、初学者の対義語は、、、あるのだろうか?つまり、「初」が「学者」を制限しているだけだからで、対義語ではなく、否定的に「学者」になると思う。
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素人が初心者とは限らないのが「未熟」という意義である。これは運動であって、運動には動機が要る。素人は必ずしも動機を携えていない。
未熟な者に対して未熟を指摘するのではない、未熟である要件を欠いているからだ。素人は未熟である必然性がない。初心者になってそれこそ初めて未熟なのである。
呉座さんのオリエンテーリングでは、素人と初心者の違いを捉えて、素人が初心者へ向かうよう、動機づけているのだ。
そのための工夫が面白く感じられるようだ。
『一揆の原理』を読んで知識が得られることは間違いないが、だから、理解が深まるとは限らない。せんぜい初心者どまりだからだ。初学者になるのはそれからである。
学問が体系であるとは、
- 独立した(要素の)再帰構造を構成している
ことと思っているが、それは
- 意味解釈
- 価値評価
であり、
- 排除化
- 階層化
に現れると思う。
なにしろ研究者の訓練を受けて居ないので、とりあえず、そういうことにしておく。
例えば、歴史学的な著述において過去の文献から新しい歴史学的結論を導くという場合、その結論の根拠となるのは一次資料であって、過去の文献の情報を扱った二次資料ではない[12]。
何を言っているのかを正確には理解できないが、ひょっとすると、「変数」の制限によって「自由変数」「束縛変数」があるという形式言語の話かもしれない。
いずれの場合もそれらは式と変数についてのその分野における全く統語的な属性である。
そして次のような特徴を持つ。
実際、束縛ができない言語は非常に表現能力が低く、使いにくい。
資料分析においては、「説明能力が低い」となるだろうか?知らない。
それは、つまりは、「「資料」としての価値の付与」であるだろうと思う。
そうしたモデルにおいてこれらの概念は相互の関係性として定義され、このような概念の定義の仕方を受け入れることは、このモデルを受け入れることにつながる。
よくわからないので、ここでは、
- 「評価」を通じた「相互の関係性」で価値体系を維持している
と理解することとする。要は、二次元の体系である。
さて読んでみる。随時感想を足してゆくことにする。
これは素人ゆえに、専門家と対立利益を持つという理由である。要は、これになると「欲深い」というエゴである。
[感想]
- マルクス主義史観批判には同感だが、中国史観批判が見られない。「歴史学」の方法論としては意義が認められないからだろうか。
「一揆」というイベントを広く「日本」に求めると中国史観批判は必要がないかもしれないが、「加賀」に起点を絞って「一揆」を対象化すると、「日本」では視野が狭く感じられる。このとき、中国大陸、朝鮮半島へ延長しても視野は広がらない。「日本」を再定義しているだけだからだ(『北陸から見た日本史』の完全な失敗はこれに起因すると思う。「リップサービス」以上のことがなく、それどころか、磯田道史になると、批判を繰り返す※)。少なくとも、タイまで見なければならないと思う。しかし、文献上それが現れないとすれば、「歴史学」からそれを言い立てるのは、正当ではないのだろう。
※「しかし幕末には「三州割拠」に象徴されるように独立超然の傾向を強めていた。大藩の誇りが邪魔をして、他藩の事例に学ぶ姿勢に乏しく、政治改革が遅れた面がある」(P.220)とある。3つの述語に着目するのであるが、
若い磯田でさえこうであるから、手塚治虫の『どろろ』に見られた「体制批判」には、あらためて根深いものを感じた次第である。人物評定などは、銭屋五兵衛への維新前後を見れば、社会の価値の表現形態であることに過ぎないことを知っているので、『人国談』はともかく、『東北風談』(1858年)にある薩摩藩士肝付兼武からの評価を前提抜きで採り上げるのには疑問を感じる。
平野元亮の『硝石精煉法』(1863年)では「併せて,伝統的な加賀藩の「培養法」 や「古土法」を高く評価し」(上掲P.185)とある。ちなみに、この人は、ガラスや醤油も研究したらしい。
6月1日(1863年7月15日) 米国、下関に報復攻撃
6月5日(1863年7月19日) フランス、下関に報復攻撃。上陸し一部砲台を破壊。
6月7日(1863年7月21日) 高杉晋作、藩に奇兵隊編成を建白
7月2日(1863年8月15日) 薩英戦争
(幕末の年表 - Wikipedia)
☞note
「硝石丘法」は,わが国では幕末に薩摩藩で取り入れられたが普及はしなかった.この背景には,循環型社会が構築されていた江戸と,屎尿処理が大きな社会問題であった欧州都市の生活文化の差異が硝石作りにも反映されていると考察できる.
「普及」となっているが、同様に言及している他の4か所では「定着(しなかった)」を使っている。この述語で対比されているのが、全国に「定着」した古土法で、加賀では「定着」しなかった。わが国では硝石丘法は薩摩で(一時的に)導入されたが「定着」しなかった、と説明されるが、「わが国では、硝石丘法は薩摩で導入されたが「定着」しなかった」と「わが国では、硝石丘法は薩摩で導入されたが、「定着」しなかった」では若干ニュアンスが異なる。薩摩でも定着しなかったのか、薩摩では定着したが、全国へ普及しなかったかであるが、薩摩でも定着しなかったと一か所使われた「一時的」から読み取れるはずであるが、最終的に「普及」と言葉を変えてしまったために、読み取れなくなった。
- 古土法は五箇山で定着しなかった
- 培養法は全国に普及しなかった
- 硝石丘法は薩摩に定着しなかったし、全国に普及しなかった
ではないかと思う。
東北風譚 | 叡智の杜Web(画像:東北風談-国立公文書館デジタルアーカイブ)
硝石製煉法 | 日本古典籍データセット(画像:硝石製煉法 | 日本古典籍データセット)
Saltpeter Instructions for the Manufacture of Saltpetre by Joseph Leconte 1862 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive(1862年。米国の南北戦争時代に LeConteによって著された)
「船酔い」「食料」「排泄物」で検証する「蒙古襲来」「秀吉の大返し」(山根 一眞) | ブルーバックス | 講談社(1/4)
NHKヒストリアによる「糞尿爆弾」は有名であるが、排泄物処理能力はあまり言われない。しかし、これは一種の「籠城」なので、それが勝敗を決する虞があるのは、七尾城で証明済であるし、小田原城では警戒されている。戦国の常識なのだ。ましてや兵馬を積んでくるのだから。馬は機械ではない。上陸してもほとんど使用できなかった可能性があるのではないかと思っている。絵巻に日本の騎馬は出てくるが、元の騎馬は出てきているのだろうか?
蒙古襲来合戦絵巻(ムービー;[Slide-ON]をクリック)
いまだにせいぜい「やる気がなかった」という程度で理解されるが(ならやる気があったら、成功したのか?)、「蒙古襲来」として語られることは、ほぼファンタジーである。