よくまとまらなかった。反省。

(「論理構造」が何を言っているかわからないが※)この見方に賛成。仏教は、そもそも習合的に輸入されたけれど、日本人にとっては、それまでの類比的な体系より実証的な学問だったと思う。それまでは或る意味を求める際は(素朴)帰納的に対照させるのみだったが、仏教伝来以降は、学としての演繹性が強化されたと思う。このような学となってはじめて哲学ならば、この主張に同意できる。

※一説によれば、縄文時代土偶に、十進法が使われて意義づけられていたとされる。少なくとも初歩的な数概念の習得乃至算術があったはずだ。

ラッセルの「指示論」らしい。論理は規則を通じて規範を分離され、「善」の規範性は量化で示される。事実判断を超えているのは、ラッセルによる、それが「指示」ではない主張を覆さない。これが前期ラッセルで、後期ラッセルは、そのように条件化された「規範」が実際の行為に影響を与える事実性に危惧を表明している。

 

束論とジョージ・ブールをもっとしっかり理解できたら嬉しい。