4.1.3なぜ算術は論理に還元されるのか(P.107)
事物ではなく概念を扱うからである。
小学校で英語をするくらいなら、小学校でフランス語をやってもいいんじゃないかと思う理由。
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[オックスフォード・コンマの使用例]
A,B,andC ⇒ A:B:andC
A,BandC ⇒ A;BandC
ところが、前回の説明は不正解で、":(コロン)"の説明に関しては十分でなく、";(セミコロン)"の説明に関しては余分である。
『ケータイ「万能」フランス語文法』のP.27頁に模範解答がある。
: doux points[ドゥ・ポワン]説明や列挙の前で用いる.
ここで「列挙」とは(例解国語辞典)
- いちいち並べて(列する)
- 完了する。十分である(挙げる)
「列挙」或いは「枚挙」という語彙は浮かんだのであるが「例示」に関して判断つきかねたので、形容の階層(クラス)に無関係に定性的な になったが、一次グループ(要素全体のグループ)から二次グループ(代表された要素のグループ)へ移して、(二次グループの要素に関して)「列挙」で「例示」できているのであった。
「例示」というと、
一方「並置」なら、語でも文でも可能で、それを「倫理的」と言ったのであるが、(語と文とで)制限がないのであるから(それに関して何も書かなければよいだけだから、書くと)余分であった。
「論理的」とは
これ、フランス語の方が、わかりやすいよね。
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わざわざこういうことを言うのは、英語は、(近代以降の征服の歴史ばかりが強調されるが、)バイキングからであれ、フランス人からであれ、被征服の歴史から、クレオール的な様相が備わってんじゃないの?ということを言いたいのである。
要は、すごく、実用的だ。
そうすると、入試改革で大騒ぎしたけれど、「やりたい英語を自分のキャリアを考えて選べばいいじゃない」ということであって、それに反対するのは大人の事情に過ぎないからだが(大学院では許容しているから、 それで食っている連中の規模の大きさに依る政治力に過ぎず 、 基本的に 、 子どもは関係がない 。それが好いか悪いかはさておき、欺瞞的であるのは自明である。)、ところが、ドイツやオーストリアと違って、キャリア形成を早期に考える社会文化がない。それだけである。
ところが、受験はスポーツであるところ、マネージメントの問題があって、所謂サンクコストを言い出す「エリート高校生」が居たから、妙な話になってしまった(お前は自分で学費出さねえだろ)。これなども、欺瞞的な大人に「自主的」に引っ張り出されただけだが、この子は将来すぐ騙されんじゃないかと心配になってしまう。
これこそが日本の家父長的性格ではないかと思っている。
つまり、生まれついたら、逃れようもなく、系列化されてしまっているのだ。
それに右も左もないことはあきらかであって、統制的かそうでないかでしかない。