日本人には訳せない

これって、『ハムレット』もそうじゃないかと、かねてより思っている。

👇古英語から考える、To不定詞と原型不定詞(To不定詞は元来、前置詞+原型不定詞だったところ、原型不定詞の名詞用法が消失したために、To不定詞として残った。そのため、"for"と類似する前置詞的な意味合いをもとより持っている。)

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この観点から考えると、ビートルズシェークスピアは近づく。

 

原話は北欧神話だけれど、結局、これはルネサンスから近代にかけての、ヘブライズムとへらニズムとゲルマニズムの調和が底流にあって、しかし、キリスト教の擁護(による読み替え)を言っていると思う(ホッブスが、「万人の万人に対する闘争」というローマに代表される部族社会の調和の現実を—これは後に整理されるようなルソー以降、ロック、カントのような仮想ではなく、古典的なレトリックである—、キリスト教の下に一元的に置いて王に絶対的に支配される「帝国」を擁護したように。ホッブス、ルソー、ロックと3人並べるような話ではなく、また、ホッブス、ルソー、ロック、カントと4人無差別に並べるような話でもない。イギリスの帝国主義からドイツの帝国主義への移行である。「永久平和」は帝国支配の危険と裏腹である—現在の 宇露ウクライナロシア 戦争の先駆けであった 墺洪オーストリアハンガリー 帝国の崩壊による第一次世界大戦もそうであったし、南米諸国の訴えにより、国連も早々に5常任理事国による相互監視に移行した。「多様性」をトンネルとした抜け駆けを阻止できないからだ。自動参戦条約から、自動参戦しないような拒否権の採用になった。今も自動参戦と拒否権をめぐって政治的な駆け引きが行われている。実のところ—核ではなく—石油のみが焦点である。美辞麗句のもと帝国支配で辛酸をなめた諸国はウクライナを擁護する)。


要は、『ハムレット』は、(古ゲルマン民話に題材を採りつつも、それと異なる)キリスト教倫理の説く死の意味合いであって、日本人が読むと、「死ぬのが怖い」だけとなる。そうではなく、「死ぬべきなのは当然だが、「名誉なき死」になっては、死ぬに死にきれない—「無念だ」というレベルではなく神との約束に連なる倫理的に絶対的な感情として」という話で、だから、それを損なう態度を見せたオフィーリアに激怒する。ここらへんの機微が我々にはピンと来ない。倫理的に正しい人から死んでも忘れられないようにしないと駄目なのだ。要は、ビッチだと困る。

  ワシが今から死のうってときに、ワレ何考えとんじゃい

と言葉にすると、(ジョンはヨーコに焼きもちを焼いたけれど、)ハムレットもオフィーリアに焼きもちを焼いたのかな。小さい野郎だ、と読んでしまうが、そうではない。


「原文主義」なんて大学生レベルだとほぼ無意味で(思い出作りにはなる。)、詰みあがった研究成果を効率よく摂取するのが合理的だ(そのうえで原文を読むなら、まだ読める)。明治の時代もみな原文で読んでいたのだ。「だからどうした」という話である。それをわざわざ繰り返してどうする。時間の無駄である。