届いた。

markovproperty.hatenadiary.com

そうか、気づいてよかった。

300m」を入れることが、とりあえず正しかったらしい。
いや事実としては「秒速2000m」だけれど(「入れること」が正しい※)。

燃料気化爆弾 - Wikipedia
BLEVE - Wikipedia

※「要確認」の付箋でも貼って自由なXにでもしとけばよかっただろうか。
練習なので気にしていなかった

 

ただ、本質的には、『事実』と『意見』すなわち、ファクト Fact とオピニオン Opinion の分別が本質らしい。『事実』に求められるのは、真偽である。要は、命題なのだ。

そこまでは説明していない。
その意味で、👇と近いポジションに在ると思う。

批評にしても、形式論理にしても、専門的な理解は大学以降に委ねて、或いは高校の数学で学ぶ「基礎解析」と同じように、その入り口の紹介乃至準備を整えることを目標とする。構造的な「高大接続」ではなく、方法的な或いは構成的な「高大接続」(乃至大学初年度生)の試みである。ともにドリル化されているのが、(中等教育の事情を)「わかっている」感にあふれている。

www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp

ただ、自分の問題設定だと、意味論にまで踏み込んでいるのか(どうなのか)、気化爆弾と核爆弾を対照化することの是非をどう考えればよかったか。

爆縮レンズ - Wikipedia

 

P13,第1課 具体的に伝える(1)

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自分の場合、こうなるのだが、こうなると、意味論に立ち入ると思ったのだ。
ただし、その場合、

ということともかかわりあってくるのだろうか気になったのである。
「説明過剰」で、つまり、曖昧なままで伝えてよいこともあるのだ。
指導する側は、右に形式論理(述語論理)、左に発達心理を抱えて、本当はかなり大変かもしれない。
「現代国語」は、「論理国語(形式操作と批判)」と「文芸国語(文法と文脈)」のほかに「発達国語」があってよいかもしれない。
数学に三元数がないように、国語に二分論はないかもしれない。

或いは「対話」(議論を含む。)も入れた四分論かもしれない。
というのは、昨日、自分の接遇に問題を感じて、

を見ていたのだが、要は「接遇」の場合、ことのほか嫌われるのが「分析的態度」で、注意しなければならないのが「取引的交歓」である。一見関係がないようだが、「嫌われるのが『分析的態度』」と評価に関してつながる話である。
このとき、「分析的」に対置されて「統合的」すなわち「継時的(展開的)」な会話が推奨されるのである。

これはもはや「国民教育」と「社会倫理」の問題で、「現場教育」では係る事態に対応しきれない。これは相当根深いので、教育改革は、どうしても抜本的にならざるを得ないのであった。

次はこれに進むかもしれない。