どっちもどっちである

兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。

そうか。40年前にワシもそう思ったよ。一人じゃない。

兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。

ごんぎつね 全文

さらに、

とちゅうの坂の上でふり返ってみますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。

実際には、これらの文章に繋がって来て、兵十はずっと麦を研いでいるのであるが、この物語は1932年(昭和7年,『赤い鳥』1月号)に発表されたのであるから、自分でも当時の葬式など知りようもない。

これが、

  1. 兵十がまだ井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました
  2. 兵十が井戸のところでまだ麦をといでいるのが小さく見えました
  3. 兵十が井戸のところで麦をまだといでいるのが小さく見えました
  4. 兵十が井戸のところで麦をといでいるのがまだ小さく見えました

との比較になるが、生活実感を伴う日常語による詩的な文章が特徴なので、全体的な一情景中の「一コマの活写」であるように思う。私には、読点の効果によってもともとあった「兵十が(小さく)見えました」に挿入され(「兵十が」と「井戸のところで麦をといでいるのが」は、「見えました」に同列に繋がる関係である。)、「見えました」を修飾する4に近いニュアンスを感じる次第である。
ここで、最初の文は、補助的に挿入され、兵十がずっと研いでることが強調される(ことで参列者が途切れないことが強調される一方で、対照的に、兵十の孤独もまた強調される)。

しかし、女衆が総出で料理をこしらえているのである。

おそらく標準的な理解では、「ぐつぐつ似ていた」のも、係る描写から「麦」となるのではないかと思うが、果たして麦飯ばかり食わせていたのだろうか。
精進落としが「麦」であると誰が決めたのか。

葬儀で出す食事「精進落とし」の意味とマナー

芋でもきのこでもよいではないか

偏屈を言っているのではない。
ここで重要なのは、「兵十の孤独」である。
時間(時差)を使った詩的な表現が、肝である
「なにを煮ていましたか」は余計な質問である。
え?それなの?KYか、と言いたくなる

組内の女性たちが、買物帳を持って買い物を行い購入した経費を記入します。その後、食器類を用意し皆で協力して料理を作ります。御葬儀が終了するまでに人数分より多めに精進落としの料理を完成させます。

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再現 大正・昭和の味|栃木県護国神社

そもそも麦って、鍋で煮ると思っているのが、不思議である。
釜でしょう、普通は。
本当にわかって教えているのだろうか。
おそらく戦後に想像で(おとのさまが居た)「昔の暮らし」でかつ「貧農」から鍋で似たと勘違いしたのではないのか。
知らないけれど。

お米を炊(た)いたり保存(ほぞん)する道具|さがみはらし

どうにもあやしい

ここで、「ぐずぐず」の微妙なニュアンスに移行するのが、解釈の定番である。

おかゆ系の精進料理レシピ – 典座ネット〜旬の精進料理レシピ集〜

なるほど、「ぐつぐつ」じゃない。要は、煮詰まっているのか、とろ火なのか、いずれかである。いや、もはや煮崩れているのか?そうして、「おかゆ」の線が浮上するわけである


せいぜい、教える側も教わる側もどっちもどっちなのだ。
何度も言うが、これは『赤い鳥』に掲載された(特徴を色濃く持った)童話なのであって、重要なのは、「兵十の孤独」である。

 

児童はそもそも麦飯など食べたことがない。ぎりぎり戦前生まれの今年喜寿となった母親は、稗や粟を日常的に食べたことがない(「食べた経験がある」程度らしい。終戦時7歳の父親は、暮らした時期によっては、ふつうにあったらしい。単純に家計の違いである)。麦は学校で食べたことがあったと言っていたか、まずいと言っていたので、食べたことがあったのだろう。
そういう経験者が習う話なのである。

そしてなぜ、死んだ兵十が母親を煮るのかであるが、これがファンタジーだからである。こういう時、大人は歴史を考えるが、子どもは創作を考える。要は、いずれにしても、記憶をたどるのである。そうすると、絵本で「煮る」なんてことは、不吉の予兆である。魔法使いくらいしか思いだせない。
『ごんぎつね』は小学校低学年向けなので、その程度のことなのだ
同じく童話で有名な『銀河鉄道の夜』にせよ、『注文の多い料理店』にせよ、どうだったか。意外に残酷でなかったか。

 

したがって、「何を煮ていたか」は、質問するような事項ではなく、説明に付する事項であるはずである
「ごんぎつね」は教材としてすぐれたポテンシャルを持っているが、時代柄特殊な童話なので、けっこう取り扱いが難しいのだ(元がこのような童話なので、昔から解釈を巡ってもめる)。読み切れる教師が居るかの方が、問題である


編集部も複数の小学校の教員の先生に確認してみましたが、ここまで突飛な回答は聞いたことがないそうです。この先生のクラスは学級崩壊しているんじゃないでしょうか。それとも地域差でしょうか。

悪かったな。

また、「鍋で何を煮ているのか」という発問は、文中に答えがあるわけでなく、

上で解説したけれど、ないわけじゃないぞ。
要は、焦点をそこに集中してない「周辺的な事実の記述」に留まってい居るのであって、想像の余地があり、自由な解釈を許してるんだよ。
ただし、「麦を煮て、おかゆをふるまった」でも自然な読み方になっている(これが実は「問題」の問題である)。
けれど、「麦を煮た」と答えるのを「迷う」はずで、すなわち、これは論理で謂う、「AまたはB」の問題で、AとBのいずれか一方だけを指す排除的な接続なのか、その場合も含めて、AとBの両方を許すのかを考えたときに、「麦以外を煮なかった」かどうかが想起されるからだこれが答えられない。これは精神的能力を要求する「問い」だからだ。正直なことを言うと、シンプルに考えるのは、知的レベルが高くなるのである(ここでは「麦以外を煮なかった」どうかの問いを捨象して、、、、、「麦を煮た」ことを合理的に、、、、考えられるかどうかである)。※

だから、、、、教師は、好むのである。試したくなるのだ

そのうえで、麦を「煮る」のか「炊く」のかを、(椀をふるまうだけでない)食膳の有無を巡って、兵十の貧農ぶりから想像しなければならない

7乃至8歳の子供には、かなりハードルが高い

そういうことである。わかった?
あんた、読めてるか?

 

※「合理的」の意味がおそらく今は変わったのである。『山月記』でもそうであるが、以前は、こういった読み方を「合理的」と考えていたのだ。
これは「読書感想文の書き方」にも通じる話で、「できる子」と「できない子」がはっきりとわかれたのである(それを自覚できるかまでは知らない。「できる子」が陰に陽に支援を受けるようになって、ときに児童代表として教師から求められて意見を具申したり、特別扱いされるだけである。こういった事情に疎い子は、まったく知らない。教師からすると、選別できなければならなかったのだし、「内通している」ことが恩寵だったのだ)。