それにしても「昭和」の歴史観イデオロギー評価ばかりで、社会的な経緯がまったく認められていない。

平沼騏一郎と言えば、社債信託法であって、(やがて、台湾、朝鮮経営へ向かう)この過渡的意義である。一木喜徳郎、渋沢栄一らの時代を終わらせたのだ。

一方で、上杉慎吉のような、ドイツ学派とも違う。ナチスはもっと違うし、マルクス主義は絶対に違う(マルクスだってドイツ人だ)。

平沼騏一郎の真実はどこにあったのか。穂積八束と同じくらい誤解されているのか。
穂積は、明治期に自然法を理解し、また、大正期に「孤独」を理解したのだ。

それにしても「昭和」の歴史観イデオロギー評価ばかりである。