本当にチーズができた。すごい。
これでいつもの簡易パンケーキを作ったら、いつもよりは美味くなった。

それはよいとして。

 

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士農工商」が明治政府のついた嘘だったということは近代史にとって重要な事実だろうと思う。

ただ、「旗本」にはなられなかったんじゃないかな、違うの?

旗本(はたもと)とは、本来は戦場で主将の旗下にあって主将を護衛する武士団のことを指すが、一般的には江戸時代の徳川将軍家直属の家臣のうち石高が1万石未満で御目見以上の家格だった武士の身分を指す[1]御目見以下の家臣は御家人という[1]

旗本-Wikipedia

を踏まえたうえで、

幕府の直属家臣たる旗本・御家人の場合では、上級旗本は官位を与えられ重職に任ぜられたのに対し、中堅・下級旗本は無位無官の上、低い役職に補せられた。さらに、旗本には将軍謁見を許されたのに対し、御家人は許されなかったなど、幕府の直臣の間でも細かい家格が定められた。
さらに、諸藩に至っては家老以下の役職は世襲化され、藩士内で家格が階層化されていた他、正規の家臣たる上士と藩の支配地に在住する土着の武士や有力百姓により構成された郷士という身分が形成され、大名の領地においても家格により強い身分統制が敷かれた。

家格-Wikipedia

こういった、二重構造のもとで、

ただし、こうした旗本・御家人株の売買による身分違いの養子縁組・持参金養子は、寛文3年(1663年)江戸幕府が公布した「御旗本御法度」[5]や安永3年(1774年)、天保7年(1836年)、嘉永6年(1853年)に出された持参金養子の禁令などにより、幕府により禁止され、処罰の対象とされていた。そのため、旗本・御家人株などの売買により、武士身分となった者がトラブルなどにより訴訟される事態になった場合には、御家人株を買い、武士身分となった家であることが露見するのを避けるために内済金などを払い、和解するという事例もあった[4]

家格-Wikipedia

こういった事実があった。
士農工商」によって「隠された」のは、「家(格)」の話で、それは徳川家とそれ以外の武家の話だったんだ。「士農工商」ということによって、あたかも、日本で統一的な身分があったかのように錯覚する。あったのは、「身分」ではなく「家格」だったんだ。そして、大名の財産は、残った(華族の財産形成の詳細については、今後の研究が待たれる)。

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そういうことを無視して、いつまでも「天皇」がどうたら言うのは、ただの欺瞞なんだよ。そして、「天皇家」と呼ぶにしろ、「皇室」と呼ぶにしろ、「家格」の問題も、日本国憲法の施行によって解消した。

世界史におけるドイツ史観と、日本史における東京史観には、注意が要るんだ。


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こうやって見ると、ドイツが内陸部であることが、わかる。
世界は自然と交流していた。