淡黄非黄、即、非白非黄              P⇒Q(¬Q⇒¬P)、即、¬(Q⋀¬P)

 

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墨子公孫龍は不思議な人たちで、

墨子の研究

この方が詳しく説明されていて感心するが、墨子が、原始キリスト教か或いは聖書を信じる人たちだったと考えるのが普通の感覚のような気がするが、あくまで「感覚」であって、証拠が挙がっているわけではないから、何も言えない。

 

滕州と言えば山東省らしく、内陸部というわけではない。
殷の都(の遺跡;偃師商城)と夏の都(の遺跡;二里頭遺跡がそれと言われている。)が10キロと離れていないところにあるようだが、隣の河南省で、まだ内陸部である。

河南省の北に接する山西省には周(国)があったらしい。
滕州は魯のあたりで、6国時代には、斉だろうか。宋の勢力圏には入っていない。

魯からは孔子も出たし、孔子はもとから魯に残っていた文化をまとめた点があるらしく、この地域の特殊な地位がうかがえる。

黄老思想と同じ或いは同系なのだろうか。
黄巾の乱が起こっている。
「太平」と言っても、清の時代に起こった太平天国の乱は南京から南で起こっている。


公孫龍子』の

  1. 跡府
  2. 白馬論
  3. 指物
  4. 通変論(通變論
  5. 堅白論
  6. 名実論(名實論

公孫龍子- Wikipediaより)

の2と5は別の内容なのか、ということがある。
つまり、ゼノンの第2問題(無限分割)と第3問題(無限延長;無限遠点)は違う問題のところ、要は技術的に幼稚なためにより高度な問題もいっしょくたになっており、反対に「同じ問題」と考えてしまう誤謬を犯しているように思うが(そして、それは「哲学者」にはわからない。技術問題と概念問題の混乱である。リーマンとゼノンは、同じ意味を持った内容を指摘しているわけではなく数学的に結びつけて考えるのが誤りではあるにしても、すくなくとも、それらは「家族的類似性」を持っていると考えることはできる。この効用は、数学においてでなく、哲学に於いて意味をもたらし、要は、「第2問題と第3問題は異なる」と言えるようになる。技術が不分明だからと言って、概念上は同じとみなすわけにはゆかないのだ)、そういうことだろうか。

※familiy resemblance(P.35『確率の出現』)。

〔したがって〕現在の知識と昔の臆見の間に何らかの家族的類似性(familiy resemblance)があるにせよ、ペストに関する現代の諸理論の中心的な命題に一世紀前に信じられた命題と同じものがまったくないことは、おそらく間違いがないだろう。昔の臆見 p が現代の知識になった事実はない。昔の臆見は、現代の知識とある意味で通訳不可能(incomennsuable)である。「通訳不可能」という用語のこのような使い方は、1960年代にポール・ファイヤーベントによって広まった。その用語を伴う、科学の諸理論に関する理論は、最近の実証主義とあまり折り合いがよくないが、スコラ的な認識論のいくつかの教義とは極めてよく合致している。

(PP.34-35)


英語において、スピーキングの位置づけをどう考えるかという問題があって、だから、わけのわからない騒動も起きるのであるが、自分などは聴覚(短期記憶)と「音痴」の問題があって、「スピーキング」と言われてもピンと来ない点があるが、「発話」のアナロジーと考えるとなんとなく察せられることもある。

文法だけだと伝わらない、ということだ。
「不十分」なのは、「学習過程」に於ける「必然」であるからそれは「選択」に係る。
このとき「「文法」の学習」が「効率的」であるとの説明が或る程度説得的であるにしても、なぜ我々がそれに「不満」を感じて来たかの説明をもたらされない。

「10年経っても英語が喋られない」とはよく言うが、ある意味「当たり前」であって、100年歌い続けても、「歌うま」にはならない。
「歌を歌う」ことくらいは「できる」だろうという話であるが、「人に聞かせられるか」は別問題である。英語だって、「しゃべっているつもり」くらいには「なれる」。

そうすると、「10年経っても英語が喋られない」と言うときの「不満」の本質は何かというと、「何かが「不十分」」であるときにその「何か」がサーチできないために「(概念の)ブリコラージュ」を行っているさまである。
わかりやすく言うと、「本当はそうじゃないのだけれど、とりあえず、そう言ってみた」ので、「行間を読め」という話である。パッションだけ伝えるので、内容は各々判断して欲しいという無茶ぶりが本質的である。

そうすると、なんとも教学じみた話だから、紛糾するといった体である。

私などは、「言葉足らず」という点でも、鳥の文法が本質的に近いと直感的に思っていて、すなわち、生成文法ユダヤ人がよくやる神学論争であったが(そういった意味で-、ユダヤ人はしばしば同じことを言う。)、「サウンドで「文法」を伝えられる」と考えると、文法だけでは「不十分」であることの説明になって調子が良いと思う次第である。
そういったとき、ユダヤ人と日本人は、やはり違って、ユダヤ人には神(或いは観念)が必要であるが、日本人には鳥で十分なので、簡単である。わかりやすいという利点がある。古来、神に聞いてもろくろく答えてくれなかったが(『ヨブ記』)、鳥はいつも鳴いている。雷などは、最近、正体がわかったくらいだ。ただの電気ではない。雷鳴は言葉ですらない。物理現象であって、さすがに雷鳴に文法は「ない」。「あった」としてもただの比喩であって、飛躍に過ぎない。

なにしろ日本人なので、そのうち、バッタの問題も解決するのではないかと思う。

 

そう考えると、日本人は不思議で、「黒性」にしても、「黄性」と考えるならば、日本人は「そう」思っていたのであったようだ。中国大陸伝来の考え方であるにしても。
すなわち、4原色(という「歴史的対象物」の突然の—無脈絡の—発生)である。
黒/白/青/赤であるが、本性は「黄」であると思う。要は、濃い「黄」/淡い「黄」の一次対照が、二次化、、、されて、濃淡の中間色としての「灰」がまた対照的なのである。
すなわち、構造的把握なのである。
なんでこんな変なことを思いついたか知らないが、要は、(天文学が未発達のときの)「占」が高度に政治的であるがゆえに、当時は、アドホックだったのだろうと思うところ、或る程度抽象観念が「発達」するとは、「体系化」される作為のことを指すので、そういった「まとめ」になったのだろうと推測する。

このとき、「白馬非馬」とは、日本人ならば、「濃黄非黄」「淡黄非黄」なのである
なぜなら、(二次化されることで)「灰非黄」即「赤非黄」「青非黄」であり「非黒非黄」「非白非黄」だろうか。中国語の認識の二重否定の表現方法を知らない(行為の二重否定の表現方法なら検索できる)。
日本人は歌を歌ってばかりいたのではなかったのだ。鳥に文法があったように、ゼノンにリーマンがあったように、歌に論理があった。
日本人はその論理的能力をもう少し自慢しても罰はあたらないような気がする。
言ってみれば、世界が「点」が「表示」であることに気づいたときに、すでに、「曲線論」をぶっていたような話である。「黄」という実在を「白」「黒」と抽象的な表示にしてなお、「赤」「青」という二次表示を操作していたのだ。

このとき、インド人の「シーニャ」から「白」を発見したのが有意義だったのか、インド人の「青」の珍重と中国人の「赤」の珍重が有意義だったのか、よくわからないが、三国(天竺、震旦、本朝)の一画にあって、それを統合したのは褒められてよいと思う。どうも日本人は「良い加減(塩梅)」で考えるときにその能力を十分発揮する様である。

白馬は馬に非ず、とは、青色は黄色に非ず、であるのだが、一方で、白色が黄色でないわけではない、ことも含んで複雑なのであった。なぜなら、(単なる)概念論を超えて、(二次化されて)極限論を含んでいるからである。
これから、倭人のことを、「東洋のギリシャ人」と呼ぶことにしよう。「倭」は卑下する形容を含んでいるが、「東洋」といったとき「西洋」に対するコンプレックスを含んでいるからである。

コンプレックスを含んで「悪いか」という話であって、イギリス人を見ていたら、そんなことは取るに足らない話だと思うようになった。そういうことでいきり立つのは歴史的に「カッペ」(「バルバロイ」)だったドイツ人である。
評価ではなく構造に、複雑さに着目した方が良い。