今日のNew Chat(ChatGPT)

以下の文章を読み、後の問いに答えてください。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。別段深い意味で先生と呼んでいるのではない。憧れとか尊敬とかいう気持ではないからだ。私はその人を先生と呼ぶと、同時に自分を生徒と思うのである。すると自分は末席につくがよいと思う。そう思っていると、どんなに気が利いても、気どっても、おしゃべりになれない。私は先生に対しておしゃべりになりたいとは思わない。」

問 「私」は「先生」の本名を知っていると考えられますか?

ChatGPT 3.5と4の比較 · GitHub

この問題は実は、たった一言、「打ち明けない」の意味がわかるかどうかだけである。
一文一文に分けて全文の意味を聞いてみた。


—だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
とはどういう意味ですか

文面からは、「私」は「先生」の本名を知っているようには読み取れません。文章によれば、「私」は「先生」と呼び習わしており、それが自然であると考えています。また、「先生」と呼ぶことで、自分自身を生徒と位置づけ、謙虚な姿勢を取ることができると述べています。従って、「私」は「先生」の本名を知っていても、それを明かす必要性を感じていないと思われます。

 

下線強調は引用者。

むしろ、考えていた以上に「わかって」いる。

markovproperty.hatenadiary.com

おそらくこのことである。

アリストテレスは主に三段論法を研究したが、現代の時相論理のような研究もしており、一階時相二値論理のような形式を部分的に検討したことがある。特に不確定な未来の事象を扱う際、アリストテレスは二値の意味論を適用できないと考え、例えば「明日、海戦が勃発するだろう」といった文の真偽を現時点で決定できないとした[1]。

時相論理 - Wikipedia

ディオドロスは

ja.wikipedia.org

ディオドロス的可能態、「できる」とはいずれかの時間において現実化することであるらしい。時間をできる限り延長しても現れない場合は「できない」である。

現代の様相論理学もまた超時間的である.ルイスが創始した様相命題の記号 ◇pは,時 間変項を全然含んでいない.現代の記号論理学 は,もともと数学の基礎づけという目標のもとに出発した.そのため命題の具体的事例としては 「2+2=4」 のような超時間的.必然命題だけが考慮され,「あす雨が降る」という時間的 ・偶然的命題は公理化され た体系の中に組み入れられなかった.このような伝統のもとにおいてルイスの様相論理学もまた超時間的になったのである.

PP.1-2,様相と時間/杉原 丈夫

ここで思い出したいのが、「実無限」と「可能無限」を導いたカント―ルの説明における(1対1の対応関係の)〈すべて〉である(すなわち、全単射)。
∀[∃∀]と書くとき、[∃∀]が再帰的であるゆえに無限であるとき、それを∀[]とすることで帰納的に逐一化できる論法であると思う。

これを可能と必然で行ったらどうだろう。
知らないが、

  • 一つの世界において真であることを、◇の可能演算子で表現する
  • すべての世界において真であることを、▢の必然演算子で表現する
  • 過去において真であったことをPの過去演算子で表現する

と考える時、∃が◇、∀が▢に相当するように思える。過去の事実は、〈1,0〉の無限数列に順序を与えることで表現できそうである。そのとき、「必要性」として、それを対象化し呼び出す操作を行うと理解する。これが「可能無限」から「実無限」を構成する操作に似ていると思うのである。

 

—様相論理で「本名を明かすことがは必然ではない」と表現する

「本名を明かすことが必然ではない」とは、「◇¬本名を明かすこと」と表現できます。ここで、◇は「少なくとも一つの世界において」という意味を持つ論理記号で、¬は否定を表す論理記号です。したがって、「◇¬本名を明かすこと」とは、「少なくとも一つの世界において、本名を明かすことはない」という意味になります。

—様相論理で「感じていない」と表現する

「感じていない」という表現は、様相論理においては「必然ではない」と同義となります。つまり、「本名を明かす必要性を感じていない」という文は、「本名を明かす必要性が必然ではない」とも表現できます。

—様相論理で「本名を知っている」を

様相論理で「本名を知っている」と表現するには、いくつかの可能性がありますが、典型的な方法は、命題変数pを「私がその人の本名を知っている」とし、次のように表現することができます。

◇p

ここで、◇は「可能性のある」という意味を持つ様相演算子です。この式は、「少なくとも1つの可能な世界で、pが真である」と解釈できます。すなわち、「本名を知っている」という状況が少なくとも1つの世界で実現されているということを意味しています。

—様相論理の演算子を教えてください

様相論理にはいくつかの演算子が存在しますが、その中でも代表的なものをいくつか紹介します。

  1. モダリティ演算子
  • 必然性演算子 (□): ある命題が必ず真であることを表します。例えば、「すべての犬は哺乳類である」という命題は必然的に真であることを表すために、□を用いて「□すべての犬は哺乳類である」と表現します。
  • 可能性演算子 (◇): ある命題が真である可能性があることを表します。例えば、「私が今日勉強する」という命題は真である可能性があることを表すために、◇を用いて「◇私が今日勉強する」と表現します。
  1. 時間演算子
  • 過去演算子 (P): ある命題が過去に真であったことを表します。例えば、「昨日雨が降った」という命題は過去に真であったことを表すために、Pを用いて「P昨日雨が降った」と表現します。
  • 将来演算子 (F): ある命題が将来に真であることを表します。例えば、「明日雨が降る」という命題は将来に真であることを表すために、Fを用いて「F明日雨が降る」と表現します。
  1. 知識演算子
  • 知っている演算子 (K): ある主体がある命題を知っていることを表します。例えば、「私が今日勉強する」という命題を知っていることを表すために、Kを用いて「K私が今日勉強する」と表現します。

なお、これらの演算子を組み合わせてより複雑な命題を表現することも可能です。

 

¬▢[◇▢P]であるならば、◇[▢◇P]になるのだろうか。知らない。
¬▢[◇▢P]が、毎日(順序列のすべてで)真である({[1],[1,1],~})、ゆえに必然(▢)的に真であるとき([1]→1,[1,1]→1,~であるとき、その順序列について[1,~])、その順序列の順序列に関して可能(◇)的に真であるとき([1]→1,[1,1]→1,~であるとき、その順序列について[1,~])、ゆえに必然(▢)的に真であることが言えないならば、どういうことか。

  1. 可能的には真である(可能的には「知っていた」)。
    ならば、◇[▢◇P]が真である。
  2. 必然的に偽である(必然的に「知らなかった」)。
    ならば、■[◇■P]が真である。

が考えられるだろうか?知らない。
また、この「知っている」は、順序列内の生起に関して不可逆で、或る日に「知った」ならば、それで「到達」を意味している。すなわち、

  1. 00001101011101
  2. 00001111111111

であり、2だけ真に許容している。
私たちが、「打ち明けない」を読むときには、必然的に、2の可能性を排除しているのだが、ChatGTPにとって「打ち明けない」は単なるテキスト上の事実(すなわち、述語)であって、その限りに意味が定まるので、「「打ち明ける」つもりがない」と(テキストの外部に在る)主体を呼び出すことはないらしい(主語と主体の分離;このとき、「主体」とは、∃∀乃至◇▢の、意味が不可能な文を受容する受け皿のことである)。要は、法実証主義の誤謬に近いことをやっているのである

実は、この「到達」問題が、ChatGTP3.5には全般的に苦手なようで、

タツムリが井戸に落ちてしまいました。井戸の高さは30cmであり、カタツムリは一日に3cm登りますが、夜の間に2cm落ちてしまいます。カタツムリが井戸を登り切るまでに何日かかりますか?

という問いは、 ( 3,△2)を繰り込んで、( ( 3,1),(4,2),~)が(3,4,~)と(1,2,~)の2列を内包する或る種の可能性を扱う問題だったようだ。1日目から30日目の評価を与えると、( (0,0),~(1,0),~,(1,1)) であるから、可能な評価は、(0,~,1,~1) である。

ある男は、5本のタバコの吸い殻から1本の新品のタバコを作ることができる。最初に50本の新品のタバコを持っている時、この男は最大で何本のタバコを吸うことができるか?

という問いに対して、「60本」と答えるのはマシで、こちらのChat君は、4百何本とか答えていた。

どうも育て方を間違えたらしい。

ただ、答え方の動機となる着眼は興味深くて、5本の吸い殻で1本新たにつくられるのだから、5本で6本吸えるのに等しい、と考えていた。
このとき、50本で60本吸えるのだが、「「5本につき1本」ずつ増えた」回数を考えると、60本を5本/回で割って考えるのだから、12回の操作がおこなわれたはずで、(すでに10回の増分の10本が60本の内に織り込まれているので、それ以外で)2回の増分の2本の端数が出るのであった。
こういった、変数を再帰化して回答する問題が、どうも苦手なようである。
「5本で6本吸えるのに等しい」まではよかったのであるが、そこからおかしくなったのである。


戦前は、実は、「世界Ver.3.5」であって、戦後は、或いは「世界Ver.4.0」なのであるから、ロボットを笑われないのであった。

興味深いのは、国語の解析になると、GTP4.0では、何かしらを回避できて、自然な解釈になっていることだ(カタツムリの算数の問題では相変わらずであるにも関わらず)。

自分の狙いもココで、”there live ~ ”の意味(構造)Aから依存(構造)を経由して”habited by ~”の意味(構造)Bを導きたいのである。

ChatGTPはこう言う。

両文は基本的に同じ意味を表しますが、微妙なニュアンスの違いがあります。

前者の文は、より一般的な表現であり、単に異なる人種や文化が世界中に存在していることを述べています。一方、後者の文は、より具体的に世界が異なる人々によって居住されていることを強調しています。

また、前者の文は、その主語と述語が直接的に結びついているのに対し、後者の文は、主語と述語がある程度分離しています。したがって、後者の文は、より形式的で、書き言葉に適しています。

ちなみに、

「住んでいる」は「living」と「live」のどちらでも表現できますが、ニュアンスには微妙な違いがあります。

「live」は、状態や場所を表す動詞であり、「住んでいる」という意味の他に、「生きている」という意味も持ちます。一方、「living」は、「生きている」という意味の形容詞であり、状態を表すことが多く、ある人がどこに「住んでいる」という事実を述べる場合には「living」よりも「live」が一般的に用いられます。

例えば、「I live in Tokyo.」は「私は東京に住んでいる。」という意味になりますが、「I am living in Tokyo.」という表現は少し不自然な感じがあります。「I am currently living in Tokyo.」といったように、時間的な要素を加えることでより自然な表現になります。

現在進行形の持つ「終算点」のことのようだ(ただし、ここでは、その「終算点」が、具体的な行為そのものについて言っているのか、計測上の、抽象的な時間表示を指すのかは、不明である)。

—currentlyの意味

currentlyは「現在、今」という意味を持ちます。何かが現在進行中であること、現在の状況について述べるときに使われます。例えば、「I am currently studying for my exam.」という文は「現在私は試験勉強中です」という意味になります。