今日のNew Chat(ChatGPT)

 

これが想像していたより面白かった。中学生の「New Horizon」みたいなんだけれ、若干、矢印で統語関係を示している。この教科書、なんで廃れちゃったんだろう?

著者は、徳尾俊彦 - Wikipedia。戦前、関西大学で教えていたらしい。

ふらんす笑話集,徳尾俊彦,白水社,昭和10 - 国立国会図書館デジタルコレクション

  1. Qu'est-ce qui vous fatigue le plus?(What tires you the most?)
  2. Les questions que me posent les gens.(The questions people ask me.)

1のquiは従位接続詞で”ce”を受けて”vous”に続く同格節を導く。
2のqueは関係代名詞で直前の”questions”を修飾する。

 

—「Qu'est-ce que c'est?」を英語に翻訳してください

「Qu'est-ce que c'est?」は、フランス語で「What is it?」に相当する表現です。英語で直訳すると「What is it that it is?」となりますが、一般的には「What is it?」と短く表現されます。

 

cf.[qui+whom(DO')]/[que+who(S')]と反身代名詞/反射代名詞

  • Qu'est-ce [que tu] as vu ?(What did you see?)
  • Qu'est-ce [qui se] passe?(What's happening?)
  • Qu'est-il arrivé?/Que s'est-il passé ?(What happened?)
  • Qu'est-ce [qui s']est passé ?(What has happened?)
  • Qu'est-ce [qui ne] va pas?(What is wrong?)
  • Qu'est-ce [que c']est [que cette] chose bizarre dans la rue?(What is that strange thing in the street?)

※1反身代名詞の例、2反射代名詞の例

 

 

—反身代名詞と反射代名詞の違い

反身代名詞 (reflexive pronoun) は、文中で主語と同じ人称や数を持ち、自分自身を指す代名詞です。例えば、I hurt myself(私は自分自身を傷つけた)のように使われます。

反射代名詞 (reflexive pronoun) は、他の単語の反射的な関係を表す代名詞です。例えば、She saw herself in the mirror(彼女は鏡の中で自分自身を見た)のように、動詞の目的語や前置詞の目的語として使われます。

例えば、英語の反身代名詞には、myself, yourself, himself, herself, ourselves, yourselves, themselves などがあります。反射代名詞には、myself, yourself, himself, herself, itself, ourselves, yourselves, themselves などがありますが、itself が反身代名詞と反射代名詞の両方として使われます。

—I hurt myself.のhurtは自動詞ですか他動詞ですか

「hurt」は他動詞としても自動詞としても使われますが、「I hurt myself」という文での「hurt」は自動詞として使われています。自動詞の場合、主語が自分自身に対して動作を行うことを表します。

—She saw herself in the mirrorのsawは自動詞ですか他動詞ですか

「See」は他動詞と自動詞の両方があり、直接目的語を取ることがあるかどうかで変わります。文「She saw herself in the mirror」では、「saw」は直接目的語である「herself」を持っているため、他動詞です。したがって、「saw」はこの文で他動詞です。

 

 

中学校は「New Horizon」、高校は、英語ⅡA(オーラル・コミュニケーション),英語ⅡB(読むこと),英語ⅡC(ライティング)の時代に育ったので、そういう段取りの方がしっくりきやすいのかもしれない。

これだな。

 

 

フランスが随分と感心を持っていた。これは地中海世界の拡大の結果。インドは、地中海から遠くない。

第一と第二の変化のあいだには、認識空間の規模と抽象度の程度において、大きな差異が存在する。ルネサンス期の学者たちの努力は、忘却していた自己の起源の知識を、生活経験世界において復活させることだった。それに対してインド学と比較言語学の成立は、ヨーロッパの言語、宗教、文化を、イスラームを介在させずして、非西洋世界から照らしなおし、ギリシャをさらに遡るヨーロッパ文明の起源を辿るという高度に観念的な企図であり、それを通したかつてない人文学の創出であった。マックス・ミュラーはこの第二の変革を壮大な規模で完成させた。

UTokyo BiblioPlaza - 比較宗教学の誕生

その前に、

それについては、「人格の承認」というほとんど宗教問題であるから、

法律によって担保されるのでなければ憲法上の信教の自由は保障されないのも同然であるという点である[35]

宗教団体法 - Wikipedia

その理由は、キリスト教をどんな形であれ統制の対象とすることが、キリスト教を公然と認めることとなるというジレンマからであった[19]

宗教団体法 - Wikipedia

まず結社を届出によって把握して、その後に治安警察法(明治33年法律第36号)による取締(結社禁止処分など)に委ねるほうが効果的であると考えられたためであるとされている[57]

宗教団体法 - Wikipedia

行政手続き的には、こういう筋の話だろうと思う(というか、原理的に、それ以外に考えにくい)。
つまり、LGBTQの人たちは「普通でない人」として当たらず触らずで来たが、当然に「普通の人」として(もちろん、当然である。)、触法行為について摘発するには、こういった法手続きを踏む必要があった、と「曲解」でもするほかない。

欧米では過剰な規制が前提となったが、日本では、事実上、寡少な規制が前提となっているとの憶測だ。

仏教が日本主義と結びついたのはよく知られているが、精神主義が、オカルトブームと新仏教の成立を経て、(国家的な)人格主義を帰結したのかどうか。

 

markovproperty.hatenadiary.com


あら本当。気づかなかったわぁ。覚えとこ。