分からないものはしょうがないですね・・・ https://t.co/UuYWmpQ1im
— 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ (@tonton1965) May 31, 2023
「ガリヴァー旅行記」があんなに面白いのに「カンディード」はなんで全然面白くないんだとか、シェイクスピアはあんなに普遍性があるのにラシーヌやモリエールには全然それがないのはなんでかということ
— 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ (@tonton1965) May 31, 2023
『カンディード』のライプニッツ(的楽観主義への)批判から考える。
当然にイスラム神学の影響も視野に入れて。
デモクリトスからエピクロス、ライプニッツ、レオン・ワルラスへ
言及されていないが、ライプニッツはアリストテレス論理学の完成者を自認していたのだ(実際には、19世紀の、クリスティーン・ラッド=フランクリンまで待たなければならないが、このときすでにフレーゲの直前であった。ところで、クリスティーン・ラッド=フランクリンの方法はドイツのエミー・ネーターの方法に近いものを感じる。「数え上げ」程度の意味だが、「女性特有」とまで言えるかわからない)。
ライプニッツの源流には、アリストテレスの論理学とデモクリトスの世界観とユニテリアン(法学、債務論)の方法論があったのだ。一見不調和なこれらを統合させようとしたところにライプニッツの真骨頂があるようだ。
モナドに関して言えば、
ことが言える。1はイスラム神学からの影響であろうが、技術的には、「記憶」が抽象化された「傾向」であるだろう。モナドは「傾向」を以て外的な繋がりを持つ、と言ったら、それはもはや接線法を通じた微分の原理に抵触する。
2はニュートン的な「力」との対立で、エーテル派の強固な論客は(後にニュートンを受け入れたらしいが)、あまり知られていないが、サヴァンで在りもう一人の記号操作の天才、関数の発明者、かのレオンハルト・オイラーである。
言い換えると、
- 世界をモナドへの調和と見るか
(モナドを支配するモナド以外の外的何かが実在する) - 世界をモナド(の結合)による調和と見るか
(何かしらの内的傾向を持ったモナドで世界は完成し、モナドの外にはモナドしかなく、モナドがモナドを媒介する)
の違いではないかと思う。
中井, 裕之. ライプニッツの論理学的人間存在論 : 新しい教育関係論へ 向けて. 京都大学大学院教育学研究科紀要 2003, 49: 108-119
そして、モナドと言語の繋がりへ。
『言語は十七世紀半ばに刺激的なものになった。人々は言語の理解が世界の本性に関する主要な哲学の諸問題を解決する、と信じ始めたのである。それ以前のルネサンスでは、ある原言語(Urlanguage)が目標とされていた。それは、蒼天に書かれ、アダムやおそらく預言者によって語られ、あらゆる葉や石に表示作用(signature)で刻まれた言語である。しかし、内的証拠の概念が生じ始めたとき、それは原言語の一部であり自然によって与えられる「しるし」を内部に埋め込むために、ある概念を与えたのである。言語に残されたのは、人間の発話(speech)だけである。これは既約的なものである。ホッブスは規約性について果敢にも発言したが、そういったことをしたのは彼一人だけであった。あまり大胆でない人々は真の言語、より正確には次のような「実在記号(real characteristics)」もしくは「普遍記号(universal characteristics)」が存在するはずだと考えた。それは、その言語の単純要素が自然の単純要素と適合し、その適合規則が自然の許容するそれぞれの可能世界を生み出すことになるようなものである。このプログラムに対する最も野心的で、最も注目すべき貢献者はライプニッツである。その考えと、「実在(或いは普遍)記号」という用語自体は、ライプニッツによるものではなく、他ならぬウィルキンズによるものである。』(PP136-137, 第九章思考法,確率の出現,イアン・ハッキング著,広田すみれ/森元良太翻訳,慶応義塾大学出版会)
真性の文字と哲学的言語にむけての試論 - Wikipedia
ここでは(なぜか)言及されていないが、だからレオンハルト・オイラー、である。
オイラーの画期的な関数論は何に対抗していたか。
実在としての「モナド」と、「傾向」を記述する言語(記号)としての「モナド」があるようだ。
一方で、フロギストン(燃素)の画期と克服の経緯が平仄を合わせてゆくようだ。
負の質量が問題となったのは、引力との関連性によるものであった。ニュートンの万有引力の法則によると、引力は質量に比例するのであるから、負の質量をもつフロギストンは引力とは反対の力、すなわち斥力が働くことになる。そのため、通常の物質とは反発することになる。一方でフロギストン説によれば、フロギストンは通常金属灰と結合した状態にある。そのためフロギストンには引力と斥力の両方の性質を負わせる結果になった[17]。
アインシュタインは独自のエーテル観でエーテルを擁護したのだった。
世界観は輻輳的なのである。
そこで、言語哲学体系に位置付けられるスピノザとの対立が何だったかが問われる。
また、そうして、ジョージ・ブールがスピノザを研究対象とした意義が理解できる。
また、あまり知られていないホッブスの論理的画期についても触れないわけにもゆかない(それゆえ、ロックとどう区別されるか)。
【備考】
アル=ファーラービー 870年? - 950年
イブン・スィーナー 980年 - 1037年6月18日
アブー・ハーミド・ムハンマド・ブン・ムハンマド・ガザーリー
1058年 - 1111年12月18日
ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン 1135年3月30日 - 1204年12月13日
トマス・アクィナス 1225年頃 - 1274年3月7日
「誰がラムバン(ベン・マイモン)に従うコミュニティに他の裁定者に従うことを強制するだろうか?......ラムバンは最高の裁定者であり、イスラエルの地とアラブの地、マグレブ諸国すべてのコミュニティは彼の言葉に従って実践しており、彼を彼らのラビとして受け入れている」
赤字強調は引用者。
ガザーリーとの関係がわからない。アラビア、ギリシャ、ユダヤの思想を調和させようとしたひとらしい(山田五郎は、ギリシャ文化→ローマ文化、ユダヤ教→キリスト教、ケルト人→ゲルマン民族)。当時プロヴァンスは叙任権闘争を経たのちのドイツ帝国(神聖ローマ帝国)領だったらしい。絶妙な時期に生まれている。
オスマン帝国、ギリシャ帝国、ドイツ帝国って言わないと、ピンと来ない。
全部、「ローマ(帝国)」というね。
歴史は、「中華史観(中国主義)」と「革命史観(ヨーロッパ中心主義)」と「中央史観(東京中心主義)」、つまり、或る近代主義の傾向を辞めるところから始まるよな。
プロヴァンス - Wikipedia
プロヴァンス伯 - Wikipedia
神聖ローマ帝国 - Wikipedia
叙任権闘争 - Wikipedia
スピノザもセファルディー。
markovproperty.hatenadiary.com
小谷野さんは、普段の言行を見ても、おそらく(或いは無自覚な)上記2の「エーテル派」で、また素朴実在論だと思う。
チョムスキーやピンカーの信奉者であるらしいが、すでに「いかがなものか」となっている(チョムスキーが画期的だったのは言うまでもないが、それならば、オカルトと罵倒してやまないフロイトなどはどうか。フロイトが居たから、シカゴ学派が誕生した)。
面白い、面白くない、となると、モナドの「傾向」が心理的であるかどうかじゃないかと思う。モナドを〈私〉と置き換えたとき、その判断の排他性(それゆえのひそかな差別の導入)が俗情的にあるいはカタルシスを得て気持ちよいだけだと思いますよ。
だって、『ドン・キホーテ』の上下関係は好きと言っていましたよね?
でも天皇嫌い。そもそも「好き嫌い」と具体的に考えるのが法学的に違和感しかないのですが、文学者とはそういうものなのでしょう。つまり、日本の憲法上「天皇」は、身分制ではなくシンボル制で、「日本国民」が普遍的な存在を仮定しているのと類似しているのですが、一種の実在論あって、シンボルを措定した関係論でしかありません。
天皇は(人として、観念的には憲法以前ーあるいは同時ーに、)当然に人権を享有して人権以上の価値は(とりあえず)認められていませんから、理論上は、辞退できますよ(だから、退位したのであるしーご本人は「譲位」と言って譲りませんでしたが、それはおかしい)。
そういった抽象的な操作が苦手なだけでしょう(抽象操作がなければ法学は成立しないのですが)。
個人的には、今後、ポモ批判がイスラム神学の「忘却」の歴史と結びついて理解できたら、どう反応するだろうと興味深いですが、そんなことはないのでしょう。
要は、学力を獲得した(戦後「昭和」の)時代背景から逃れられないということです。