デカルト(座標)と英文読解からのプラグマティズム(実は、ここにも、デカルトが関係している。「プラグマティズム」はもともとパースのアイデアが源流にあるけれど、この語源となったイタリア語は英語で言うとTHING。これがパースによるカントの「モノ自身」への批判と、「第一原理」に関して観念論を批判したウィリアム・ジェームスと合流させる。そもそもカントにもデカルト批判があった。しかし、デカルトも、ウィリアム・ジェームスも、ソクラテスを引用する。また、パースの弟子のクリスティーン・ラッド=フランクリンはアリストテレス論理学を完成する。社会的、政治的には、トマス・ジェファーソンの「第一原理」批判—連邦主義者の主張するモンロー主義への批判とアレクサンダー・ハミルトン流の中央集権、論理学的にはデカルトによる「第一原理」批判であって、「実用主義」と言ってしまうと—これはデューイの影響だろうか—、ほぼ何もわからなくなる。むしろ、’thing’主義-カントの'thing-in-itself'と対比される。カント哲学は英語にすると、easy to understandになるparadox?がある—で、「ソクラテスの方法」と言ってアリストテレスが考案した三段論法のこと—このとき、よく見かける説明では、「正しい帰結を導く」ことに主眼が置かれるが、欧米ではむしろ、アマルガムな中間項の構成にこそ、その本質を見ていた。)とジャニーズ事務所を同時に考えていたら、何を考えていたが忘れてしまったが。

そう、不動産。


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これって、誰が付けるのかわからないけれど、「煽りタイトル」っぽくて(悪口じゃない。かけあいで、この人なんか、わかっていっているに決まっているから。)、じゃあ、テレビ局の経営って、財務諸表見た?って話になる。いわば「本業は不動産」ってことじゃない?となる。

興味深い話があってさ、

[2例。①兵庫で母親から限界不動産を相続した金融エリートの本。なぜ母親は、家賃が払えるかわからない限界住人を入居させる限界不動産だろうが、「不動産を持て」と言ったか。②ドンキホーテ

つまり、経営を安定させるための不動産って、すごく大きな事実なんだよね(経営のアンカー)。これは、吉本せいだったか、林正之助だったか、吉本の先代が、現社長に語ったことだよね。北新地の不動産。売るなよって。

 

概念論争(「現代の普遍論争」)の体を装っているけれど、気にしているのは、風評被害なんだよね。穿った見方をしなければね。
「概念説」に対して「科学説」がもちろんありうる(自然科学ではないけれど。要は、「存在的悪」と「認識的悪」というときの、分析論。)。
分かりやすく言うと、今までは、一生懸命「(個別経営上の)風評被害」を騒いでいたってことなんだよ。それって、ここ10年の「お定まりの炎上パターン」で、これこそが、マスコミの加害性(の本質)なんだけれど、例によって、逃げているよね(つまり、マスコミは三度「過ち」を犯していて、一度はこの社長の言うこと、一度は今回の見え透いた人権への反省の素振り—そもそもマスコミに何が「できる」んだって夜郎自大な話で、何かが「できる」なら当然に「加害者」として憲法の第三者効力が問題となるだろう。マスコミにできるのは、調査報道とは何を指すのか、「伝聞情報」を伝えるだけだから、せいぜい名誉棄損か虚偽報道くらいで、それ以外の「加害性」が問題とならない—、一度は今言っている風評被害を創り出した張本人だということ。例によって、朝日新聞でしょ、騒ぎ出したの)。
「言葉は力だ」と言ったのは、朝日新聞だったか、まさに「群衆暴力」だよね。
ここ10年のトレンド。一気にまくしたてるのが特徴。このとき往々にして、倫理的善悪が能力的多寡によって語られ(理論的に考えると成立しないことを平然と言っている。)、罵詈雑言となる。これがしばしばオピニオンリーダーからも発せられる。

 

さて、

  1. 仏教との繋がり
  2. 戦前との繋がり

から興味深いから、メリー喜多川にも

こういうものが書かれると、すごくよいんだけれどね。
文学だとよく書かれるんだけれど、法学だとそこまで詳細なのは、寡聞にして知らない。この伝記なんかすごくよくて、フランスの身分登録制と棄児の扱いについてわかるから、ルソーがフランスの何を問題にしていたかがわかるマイクロヒストリー(ミクロストリア)になっている。そういうことは、ルソーの本だけ読んでいてもわからない。

アメリカだと速攻で、この姉弟を映画にするよね。たぶん。
それくらい興味深い姉弟なんだけれど、日本の場合、そういった仕草はないよね。
NHK大河ドラマで、岩崎弥太郎を採り上げるのも、一苦労だからね。
それくらいのひとやったら、別にええやろうと思うが、関係者にしてみれば見過ごせない。死者への名誉棄損なんて話になると、大ごとだ。


或る意味で、昭和の最期の大決算みたいな話で、トラビス・ジャパンのようなチームが出て来たおり、良いマネージメントがあって、協調できたらいいよねって。

(この言葉の宗教的経緯、文化的経緯はともかくとして)「四方よし」でね。ファン、タレント(被害者である、前タレントを含む。彼らは不完備契約の被害者だ。そうである限り、これからも、被害者を生む。)、事務所、世間のね。それには正義による均衡が要る。暴力じゃなくてね(この暴力には、今回の騒動で顕著だった、経済エリート、マスコミエリートの依拠するメリットクラシーによる「科学的専制」も含まれる—ここでは「風評被害」から採り上げている。複合的な暴力なんだね)。