『疎まれし者デカルト』

カッツによると、デカルトは70年も「諸学の王」として君臨したらしいから、どうなのかね。考えられるとしたら、パスカルとの論争だけれど。

聞いてみた。

デカルトの著作が17世紀にカトリック教会の禁書目録に含まれた事実は、さまざまな学術的な情報源を通じて確認できる歴史的な事実です。この点について言及している注目すべき文献の一つは以下の通りです:

タイトル: 『西洋哲学史 第3巻: ホッブズからヒュームまで』
著者: バートランド・ラッセル
出版年: 1945年

バートランド・ラッセルは著名な哲学者で、この多巻の作品で西洋哲学を包括的に概観しています。第3巻ではホッブズからヒュームまでの時代を扱っており、17世紀の知的な状況に焦点を当てています。彼はデカルトのアイデアがどのように受け入れられ、それにまつわる論争、つまりデカルトの著作がカトリック教会の禁書目録に含まれた事例についても議論しています。

ラッセルの著作は哲学史の総説でありながら、デカルトの著作がカトリック教会によって禁止される過程に関する具体的な歴史的な出来事や状況についての洞察を提供しています。また、哲学史科学史、またはデカルトの伝記に関する他の学術的な著作も、この歴史的事実に関する詳細な検討を提供する可能性があります。

 

どうもよくわからない。

Descartes offered metaphysical proofs of the existence of God, of which the most important had been invented in the eleventh century by Saint Anselm, archbishop of Canterbury. Spinoza had a pantheistic God, who seemed to the orthodox to be no God at all; however that may be, Spinoza's arguments were essentially metaphysical, and are traceable (though he may not have realized this) to the doctrine that every proposition must have a subject and a predicate. Leibniz's metaphysics had the same source.

デカルトは、神の存在に関する形而上学的な証明を提供しました。その中で最も重要なものは、カンタベリー大司教である聖アンセルムによって11世紀に発明されたものでした。スピノザは汎神論的な神を持っており、正統派にとってはまったく神ではないように見えました。しかし、それがどうであれ、スピノザの論証は本質的に形而上学的であり、(彼がこれに気づいていたかどうかは別として)あらゆる命題は主語と述語を持たなければならないという教義にたどり着いています。同じ源から出発したのがライプニッツ形而上学でした。

P.644

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代わりに、弟子のウィトゲンシュタインとの確執の原因を見つけた。これはエウドクソス~アルキメデスニュートンボルツァーノ~コーシー/デモクリトスライプニッツ~ロビンソン~ルクセンブルク(PP.18-19,極限概念,『数学100の発見』)の極限概念の対立の伝統に沿う話であると思う。

要は、ラッセルは前者で、ウィトゲンシュタインは後者だ思うのであるが、集合論とは別である。

そこで、『禁書目録』というそのものずばりの本がないか探したら、あった。
デカルトも数冊あるが、この本の読み方がよくわらない。

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Renatus Cartesius(デカルトラテン語名)で検索。別人物が係る。

Index of prohibited books : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

これだろうか?

Parker’s condemnations led to the banning of Descartes’s philosophy at Oxford, quashing its public entrance at the university.

パーカーの非難により、オックスフォードでのデカルトの哲学は禁止され、大学での公然とした導入が抑制されました。

Antoine Le Grand (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

坂本 邦暢 (Kuni Sakamoto) - マイポータル - researchmap

この方自身がオックスフォードに関係したことがあるのかわからないが、ツイートの書き方を見ると、このことを言ったのかもしれない。

デカルト」(1513–16頁)「ニュートン」(1712–15頁)の項目の翻訳

「偉大な」アントニーの方はすごいじゃないか。
ニュートンデカルトから機械論を受け入れたが、エーテルを巡って反旗を翻し、突如、「魔術的」な運動論を展開したような説明を山本義隆はしていたが、

「トンデモ」の可能性のあるとんでもない話で、アントニーが、「意志=運動」を定式化してデカルトを紹介している(山本はガザーリーを知らなかった?)。つまり、デカルトエーテル論は、ライプニッツに先立つ微小物質のことに過ぎなかったのかもしれず、デモクリトスライプニッツ(上掲『数学100の発見』)ではなく、デモクリトスデカルトライプニッツだったかもしれない(ただし、デカルトは、法線論と独自の曲線分類を主張している。肝心の微小性に関して、デカルトの方程式に記述があったかは知らない)。

すなわち、デカルトの意志論をアントニーを介してニュートンは受け取り、他方、デカルトエーテル論をライプニッツは受け取ったかもしれないのだ。

Clatterbaugh identifies four positions that he claims commit Le Grand to the occasionalist doctrine articulated by Malebranche: 1) that there are no accidents; 2) that motion is identical to the will of God; 3) that conservation and creation are the same such that God creates bodies and their motions continuously; and 4) that the Divine Will and Intellect are one. (Clatterbaugh, 1999)

Clatterbaughは、ル・グランがメールブランシュによって展開された偶発論の教義に関係しているとする4つの立場を指摘しています:1)偶発物は存在しない;2)運動は神の意志と同一である;3)保存と創造が同じであり、したがって神は物体とその運動を連続的に創造する;4)神の意志と知性は一つである。 (Clatterbaugh、1999年)。

Antoine Le Grand (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

 


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アントニー違い。