戦後「能力」主義の発見

まさにそれだよ。

すごい。「大東亜戦争」を一言で言い当てた。

①「誰が言うか」:主体の正当性

②「事績を見る」:行為の主体への帰属

実は、①は公平を危険負担で説明している、②は効率を言い当てていて、実は文脈論であるがゆえに、「接辞」問題だ(ロジックの反対物)。

まさにこれだよ。戦後「能力」主義だ

すごい、たった一言で言い当てた。

そして、今全体として否定されつつあることだ。それはあまりに狭い解釈しか生まず、説明力に乏しいからだ。

まさに「(学校)国語」の世界だ。それが文化資本であるらしい。

そして「わからない人」が見ると、不当な行為にしか見えないことだ。

それが(本質的にはトートロジーにおける意味の構築のための外挿としての経緯導入)である「こそ」問題だ。
まさにそれですよ。
「こそ」に拘って、在るからには意味が付与されるべき、、、、、だと考えるとしたら、それは間違いです。


『想像する』を『パターンを読む』に言い換えました。
誤解させたことをお詫びして訂正いたします。 

markovproperty.hatenadiary.com

 

でもよいヒントになったし、それが強固な信念を生んでいることも分かった。
なんでも勉強だ。
教えていただいてありがとうございました。
(嫌味ではありません。)

その信念が特に「国語科」を通じて訓練されたことだとしたら、やはり学校教育が本質的に重要なことを伺わせる。