今日の図工

 

高瀬先生の素晴らしいところはデカルトを評価している点であるが、どうしても生粋の(現代)数学者なので、この時代の「怪しいこと」が苦手だ。

実は、デカルトに先駆けて、15世紀から、透視図法によって、多面体の作図が盛んとなっていたのだ。

ルカ・パチョーリ - Wikipedia

透視図法は光学の歴史でもあり、工学の歴史でもある。
ちなみに、ルカ・パチョーリの『神聖比例論』における多面体の挿絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた。

もちろん、デカルトもこの影響を受けたのであって、ライプニッツの「無限多角形」の発想も、多面体の投射だと思えば(デカルトもそうであるのは、高瀬先生が解説している通りである。)、自然な成り行きだと気づく。
なにしろ、ドイツで、特に盛んだったらしいから。

私は、デカルトの「代数的発想」は「大工的発想」だと思っていたが、「天文学者的発想」だったかもしれない。

3つの直角による三角形が無限をあらわすのも、球体からの発想ではないかと思う。
もちろん高瀬先生も球面上の三角形はご存じだと思うが、この時代の立体への興味についてはよくご存じでなかったのでないか。天球のことである。

デカルトの「われ思うゆえにわれあり」は実在論であるが、実在論とは、媒介(稠密)説であり、反真空論であり、反直観説である。言葉も存在も「実在」として区別しない「怪しさ」がある。「思う」も実在なら「ある」も実在である。それは言語的な意味を持つ。だからそれを「充足理由律」と言っても違和感がない。