One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous                    武者小路実篤13

 

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定価はいくらだったのだろう?

第2部 中世におけるユダヤ宗教哲学イスラム世界でのユダヤ哲学の台頭;カラーム;新プラトン主義;アリストテレス主義とその反対者たち;中世宗教哲学の終焉とその余波)

ユダヤ哲学 / グットマン,ユリウス【著】〈Guttmann,Julius〉/合田 正人【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

赤字強調は引用者(以下、同じ)。

中世 - Wikipedia

まさにドンピシャの話なのだけれど、1600年までを知りたいので、近世なのか、中世なのか。

 

①オセロのセリフ、②イアーゴーのセリフ、③デズデモーナのセリフを、1.『ニコマコス倫理学』の言葉との比較から、2.『オセロ』内の関連語との比較から、3.漱石の講義との比較から考える最初の ①オセロのセリフについて。

  1. business
  2. office

"bisiness"は3か所出てくる。直訳すれば「用務」(the business)、「事業」(the business)、「(やっかいな)こと」(a hard business)だろうが、文脈を勧ると、深淵であるようだ(つまり、アリストテレスの主張が「ある」)。

「味覚」、「財産分配」、「友情」に関して、それぞれ、"discriminating"、"ratio"、"can not have with many"と説明され、取捨選択を迫られている。両立できないというよりも、「過剰」「過少」が戒められているのではないかと思うが、よくわからない。"business"とは、「適当(ほどほど)」に行う方法(論)のことがイメージされる。

なお、ここで、小学校の算数が出てくる。兄弟で、みかんを同数(2人とも2個)持ってたときに、兄が弟に、1個だけ渡すと、差は2個(2倍)になる(兄1個、弟3個)。3兄弟で、長兄が末弟に1個渡すと、長兄と次兄の差に対して長兄と末弟の差は2倍となる(長兄1個、次兄2個、末弟3個)。
これがなぜか、幾何学で説明される(線分の長さ)。
すなわち、これは、摂理なのだ(幾何学的世界観からの権威論証乃至命令)。
すなわち、不可能(構造的限界、能力的限界)について述べており、自由が制限されざるを得ないことを言っている。

以下は、すべて、

Nicomachean Ethics by Aristotle

DeepL翻訳:世界一高精度な翻訳ツール

で訳したものである。

説明の順序を「財産分配」「友情」「味覚」へと変える(アリストテレスは、「味覚」「財産分与」「友情」の順で説明している。おそらく、人間/動物の分別において、「思考」から「理性」を導くうえで、幾何学的世界観が本質的だと考えたためだろうと思う)。

for in the case also in which the distribution is made from the common funds of a partnership it will be according to the same ratio which the funds put into the business by the partners bear to one another

分配がパートナーシップの共通資金からなされる場合にも,パートナーによって事業に投入された資金が互いに負うのと同じ比率に従っている

に対しては

But the justice in transactions between man and man is a sort of equality indeed, and the injustice a sort of inequality; not according to that kind of proportion, however, but according to arithmetical proportion.

しかし、人間と人間の間の取引における正義は、確かに一種の平等であり、不公正は一種の不平等である。しかし、その種の比例にではなく、算術的比例による。

と説明する。
これはわかりにくいが、要は、一方が1個あげて(一方が1個損して)、他方が1個得するのではなく、他方が2個得している人間同士での正義の「不合理」を言っていて、幾何学的正義に従わなければならない「不自由さ」のことである。
この文中では「算術的」であるが、さらに説明を加えて、幾何学的関係において、二線の比較から三線の比較へ延長乃至拡大して、—二者関係から三者関係への—一般化を試みている。
そして、この幾何学的(したがって、普遍的)正義は「不随意であるものの中間である」と言い、これは「平均」のことであって(二線の差が長さ2のとき、これら2本で割ると、長さ1であり、この条件を満たしているのが、三線目の中間線であるところ)、この関係を人間同士の正義に適用して「均等」を意味し、諸要素(人間のelementであり、資質)に於いて「釣合(平衡)」であると謂うので、すなわち倫理的には「中庸」を示唆しているだろう。

when the two elements are evenly balanced, what is done seems neither painful nor pleasant; for if the nature of anything were simple, the same action would always be most pleasant to it. This is why God always enjoys a single and simple pleasure;

二つの要素のバランスが均等であれば、行われたことは苦痛でも快楽でもないように思える、もし何かの性質が単純なら同じ行為が常にそれにとって最も快いものとなるであろうからだ。このため、神は常に単一で単純な喜びを享受している。

for as it is the vicious man that is changeable, so the nature that needs change is vicious; for it is not simple nor good.(変化を必要とする性質は悪徳であり、それは単純でも善でもないからである。)とイアーゴーの悪を思い出させるようなことを言い、

We have now discussed continence and incontinence, and pleasure and pain, both what each is and in what sense some of them are good and others bad; it remains to speak of friendship.

私たちは今、継続と失禁、快楽と苦痛について、それぞれが何であるか、またどのような意味で善いものと悪いものがあるかを論じたが、あとは友情について述べるだけである。

と結ぶ。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』

余談だが、実は、これは意外に重要であって、そのままライプニッツの議論に重なるからである。ライプニッツは、アリストテレス(の論理学)の後継者を自認していたが、確率論がパスカルが始めた頻度的確率論から飛躍して現代的な公理的確率論へ向かうとき、(あくまで)「公理的」な説明の嚆矢を、法学者ライプニッツの債務論に観ることができるためである。これはライプニッツの特殊な経歴による法学的素養で説明されるが、アリストテレスがすでに財産分与の衡平をratioで説明しているのを観ると、(現代の公理的確率論に繋がらないとはいえ)少なくともライプニッツのアイデアの萌芽が認められるのであった。
大数の法則の発見以前である。

大数の法則 - Wikipedia

さて、話を元に戻して、

Further, they too must be friends of one another, if they are all to spend their days together; and it is a hard business for this condition to be fulfilled with a large number

さらに、全員が毎日を一緒に過ごすとなると、彼らもまた互いに友人でなければならないが、この条件を満たすのは大人数では難しい。

に対しては

but one cannot have with many people the friendship based on virtue and on the character of our friends themselves, and we must be content if we find even a few such

しかし、徳に基づく友情、友人そのものの人格に基づく友情は、多くの人とは持てないのであり、そのような人が少数でもいれば満足しなければならない。

と説明する。この間、great friendshipは二者間でしか成立しないと喝破する。
最後は複雑で、これまでと反対に、最初から逆説で入る。

But even of taste they appear to make little or no use; for the business of taste is the discriminating of flavours, which is done by winetasters and people who season dishes; but they hardly take pleasure in making these discriminations, or at least self-indulgent people do not, but in the actual enjoyment, which in all cases comes through touch, both in the case of food and in that of drink and in that of sexual intercourse.

しかし、味覚についても、彼らはほとんど、あるいはまったく利用していないように見える。味覚の仕事は、風味を識別することであり、これはワイン醸造家や料理の味付けをする人々が行うことである。しかし、彼らはこうした識別をすることにほとんど喜びを感じていない。少なくとも、自己満足の人々はそうではなく、実際の楽しみ、それはあらゆる場合、食べ物と飲み物と性交渉の場合の両方で、触れることによって得られるものである。

に対しては、

and self-indulgence would seem to be justly a matter of reproach, because it attaches to us not as men but as animals.

そして、自己耽溺は、人間としてではなく、動物として我々に付着しているため、当然非難されるべきものであるように思われる。

であるとき、これは、下のように説明し、

Temperance and self-indulgence, however, are concerned with the kind of pleasures that the other animals share in, which therefore appear slavish and brutish; these are touch and taste.

しかし、節制と自堕落は、他の動物が共有するような快楽に関係しており、それゆえ奴隷的で残忍に見える。

人間と動物を分けるものは何かを連想させて、「理性」という結論へ向かう。

Each animal is thought to have a proper pleasure, as it has a proper function; viz. that which corresponds to its activity.

それぞれの動物には、適切な機能があるように、適切な快楽があると考えられている、すなわち、その活動に対応するものである。

であり、

Now sight is superior to touch in purity, and hearing and smell to taste; the pleasures, therefore, are similarly superior, and those of thought superior to these, and within each of the two kinds some are superior to others.

さて、視覚は純度において触覚に優り、聴覚と嗅覚は味覚に優る。したがって、快楽も同様に優り、思考はこれらに優り、二種類のそれぞれの中に、あるものは他のものに優るのである。

であるのだが、さて、快楽が思考に勝っているのだろうか。

for man, therefore, the life according to reason is best and pleasantest, since reason more than anything else is man. This life therefore is also the happiest.

したがって、人間にとっては、理性に従った生活が最もよく、最も楽しい。なぜなら、他の何にもまして理性が人間であるからである。したがって、この生活はまた最も幸福である。

toughtから飛躍し、reasonpleasureがある(pleasantest)と説明する。
また、そうであるがゆえに、

Now he who exercises his reason and cultivates it seems to be both in the best state of mind and most dear to the gods. For if the gods have any care for human affairs, as they are thought to have, it would be reasonable both that they should delight in that which was best and most akin to them (i.e. reason) and that they should reward those who love and honour this most, as caring for the things that are dear to them and acting both rightly and nobly. And that all these attributes belong most of all to the philosopher is manifest. He, therefore, is the dearest to the gods. And he who is that will presumably be also the happiest; so that in this way too the philosopher will more than any other be happy.

さて、理性を行使し、それを養う者は、最高の精神状態にあると同時に、神々に最も親しまれているようである。というのも、神々が人間の問題を気にかけていると考えられているように、神々が最もよく、最も近いもの(すなわち理性)を喜ばせ、これを最も愛し、尊ぶ者に、神々にとって大切なものを気遣い、正しく、気高く行動するものとして報いるのは、いずれも妥当なことであろうからである。そして、これらの属性はすべて哲学者に最も属していることは明白である。それゆえ、彼は神々にとって最も親愛なる存在である。そして、そのような者は、おそらく最も幸福でもある。したがって、この点でも、哲学者は他の誰よりも幸福であろう。

である。勝手なものである。

ただし、こうして、アリストテレスreasonシェークスピアcauseが比較できるのであった(アリストテレスにもcauseはあり、シェークスピアにもreasonはある)。


『日ユ同祖論』という「トンデモ」学説がある。
この歴史は古く、明治のころにすでにあって、実は、

明治の末に日本を訪れ、一人孤独に死んでいったイギリス人女性、「淋しき異邦人」であ るエリザベス・アンナ・ゴルドン夫人(Elizabeth Anna Gordon 1851-1925)の名前は、現 151 代においてはほとんど顧みられることがない。しかし明治の後半から大きな盛り上がりを みせた雑誌『新佛教』を中心とした仏教改革運動、そのなかでも特に東西の信仰の架け橋 となるような「普遍宗教」確立を目指した情熱を理解するためには、鈴木大拙夫人ビアト リスとも重なり合うその生涯と思想の軌跡こそが格好のサンプル、1 つの典型的な事例にな ると思われる。

PP.150-151,近代日本における知識人宗教運動の言説空間 : 『新佛教』の思想史・文化史的研究 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(それが日本へ紹介された、或いは、発案された最初かわからないが)どうもこのゴルドン氏の「仏耶一元論」が関係しているらしい。彼女はその調査のため訪日したのだ。
ゴルドン夫人がはじめて日本を訪れたのは1891年(引用者註:明治24)、家族との世界周遊旅行の途上であった。その後約10万冊の洋書「日英文庫」を携えて1907年(明治40)に来日、以降1925年(大正14)の死去にいたるまで、第1次世界大戦後の一時帰国をはさんで日本に居住した。』(同上P.151)とのことである。

それで、日ユ同祖論は、アッシリアに国を滅ぼされて、所謂「失われた十支族」(もともとは十二支族)が、流れ流れて日本に来たのではないかということであるが、日本だけに流れたとは限らない。反対のチュニジアに行ったと考えるユダヤ人も居る、という、(とんでも)トリビアを知っていた次第である。

それで、検索をかけると、出てくる話は「とんでも」ではない。

チュニジア出身のアルベール・メンミ(1920-)は、最近の著作『動かぬ放浪民』の中で、自分が「アラブ系ユダヤ人」という言葉を最初に提案した可能性を示唆しているが(Memmi, Le nomade immobile154)、それはともかくもメンミは1974年の『ユダヤ人とアラブ人』の中で、この「アラブ系ユダヤ人」というカテゴリーを主題としている。

私はアラブ諸国に生まれ、そこの人々とは友情、さらには愛情を保ち続け、しかもそれが堅固なものだと信じている。私はマグレブや中東の出身者やムスリムの黒人を学生の中にたくさんもっている。また、私は家族の一部とは今日でもなおアラブ語を話し、 旅行のたびにそれを確かめている。つまり私が最も自然に自分に合っていると感じるのは、アラブ国におけるその光、匂い、果実、人間的接触の質なのである。(Memmi, Juifs et Arabes 145)

PP.140-141,「アラブ系ユダヤ人」言説の解明 -「ユダヤ人問題」の転回に向けて- 田所 光男

マグレブ商人を思わせるが、11世紀の話ではない。

ユダヤ、それは私の宗教で、アラブ、それは私の文明です。私は自分のことを 「ベルベルユダヤ人、アンダルシア系ユダヤ人」と規定します。スペイン系ユダヤ人という歌の中で、「自分はアラブ系ユダヤ人である」と歌うところがありますが、私はアラブ系であるという事実をやや誤って主張していました。「ベル ベル系ユダヤ人」であると言うべきであったでしょう。アルジェリアはアラブの国ではなく、まさにベルベルの国なのですから。(Macias, «Le rêve oriental d’Enrico»)

その背景には複雑な事情があって、

アラブ人は被植民者であった、それは確かである。しかしそれでは我々はどうだ ったのか! 何世紀にもわたり、支配され、侮辱され、脅かされ、周期的に虐殺されること以外のことがあったであろうか。そして誰にそうした仕打ちを受けて きたのか。これについて我々の言葉を聞く時ではないだろうか、ムスリム系アラ ブ人によってなのである!(中略)しかも、大部分のユダヤ系知識人が政治倫理 によって断罪する、フランス、イギリス、イタリアの植民地化は、我々ユダヤ大衆にとっては、生存を保障してくれるものと実感されてきたのである。(Memmi, Juifs et Arabes 12)

 

金沢は、林銑十郎(父親は旧加賀藩士で富山の砺波出身)と鈴木大拙を生んだのであった。
※郡書記だったので、そう思う。当時は、石川県礪波郡だった(拡大石川県)。

博物館だより(明治11年「石川県管内図」)

👇表は、石川県統計書. 昭和50年 - 国立国会図書館デジタルコレクション

礪波郡 - Wikipedia
石動町 - Wikipedia

実は、砺波市南砺市(塩硝づくりで有名な五箇山のあるところ。)ではなく、小矢部市だったという。そうすると、
瀬島龍三 - Wikipedia

実は、瀬島龍三と同郷で、双方の家の所在地は知らないが、石動町と鷲島なら、車で3キロ(6分)くらいの距離感らしい。だいたい1里とすると、歩いて半時(約1時間)だったろうか。大した時間じゃないという意味での慣用句で使われるくらいの時間感覚である。

Google マップ

瀬島が「貧乏人の小せがれ」というのは嘘である。

富山県礪波郡地図

明治20年なので、郡役所が杉木新町に移転した後だろう。

Google マップ

石動町と小立野はかなり遠い。

清水 唯一朗 (Shimizu Yuichiro) - 「明治日本の官僚リクルートメント―その制度、運用、実態―」 - 論文 - researchmap

👇図は、明治初年の職官表より

郡町村吏  (明治11年7月制定)
(一部不確かなところを含みます)
官の種類 等級 郡町村吏 明治12年愛媛県 明治13年徳島県 明治14年岐阜県 明治14年広島県 備考
判任官 8等 郡長 月50~25円 月60~30円 月50~30円 月45~30円 明治16年、奏任官となる
判任官 10等
11等
12等
13等
14等
15等
16等
17等
郡書記 月20円
月18円
月15円
月12円
月10円
月8円
月7円
月6円
月25円/20円
月17円
月15円
月12円
月10円
月8円
月7円
月6円
月25円
月22円
月20円
月18円
月16円
月14円
月12円
月10円
月20円
月17円
月14円
月12円
月10円
月8円
月7円
月6円
 
    郡役所雇     月8~4.5円 月6~2円  
等外 1等 戸長 年80~60円 年115~65円 年85~10円 年60~35円 名誉職に近い
    筆生       年30~20円  


仕事はこんな感じ。
太田 富康 (Tomiyasu Ota) - 郡役所の文書と情報--埼玉県・郡制施行以前 1879〜1896 - 論文 - researchmap

林銑十郎は、今の金沢市小立野三丁目(兼六園から上がって、金沢美術工芸大学、金沢大学鶴間キャンパス、金沢大学附属病院、金沢商業高校が隣接している、鶴間坂があった下弓町の隣か、下弓町の隣の上弓町の隣か。小立野の旧町名③旧上・中・下弓ノ町 | 市民が見つける金沢再発見)に生まれ、彼は、金沢市尋常師範小学校(現在の、金沢大学人間社会学域学校教育学類附属小学校)から四高補充科を中退して陸軍士官学校に入学したので、陸軍教導団出身でも陸軍予科士官学校出身でも、陸軍幼年学校出身でもない。同齢の林弥三吉は陸軍幼年学校出身である(陸大17期で、林と同期)。

林弥三吉 - Wikipedia

失礼を承知で言えば(他人が、「子」ではない「小」という謙譲を押し付けて、こういう言い方をするものではなく、それだけをとっても貶しているのでありまことに申し訳ないが)、「貧乏人の小せがれ」とはこの人である。すみません。

渡辺錠太郎 - Wikipedia

小学校を中退して、徴兵されて陸軍入りし、陸大17期の主席となった(生家は煙草商だったので、貧窮していたかわからないが、養子となった)。
母子家庭だった辻政信は幼年学校に行っている。働き出がいないうちは苦労したが、持ち直したということもあったと思う。本当に貧乏だと、学資が払えない。借金したという話はあっただろうか?炭焼は大変な労働だが儲からないわけではない。辻政信が補欠入学というのも嘘である。こういったエリートが「貧乏話」を吹聴するのは、本源的に、軍内で「民主的」に推戴される必要があったからであると思う(大正デモクラシーの片翼を担ったのは、軍であり、もう片翼は、資本である)。その過程にある「上層部突き上げ」を「成人儀礼」として慣例化(文化的な制度化)したがゆえに、石原の暴走を止められなかった。石原は「天才」だったわけではなく(だから、本流の梅津美治郎には歯が立たない。)、「辺境」の「偏狭(変人)」だっただけである。

こういう素敵な中学校だったりする。これはボタニカルアートで科学的な観察。

鈴木大拙の生まれた本多町は、兼六園の反対方向、広阪から寺町へ向かって、今は、MROテレビ(北陸放送株式会社本社。6ch,TBS系列の地方局)があるところで(下本多町になるが、MROの、道路を挟んで向かいに、多目的ホール金沢歌劇座」がある。)、旧石川県立図書館があった。石川県立図書館は、小立野二丁目(金沢大学工学部跡地)へ移った。関係ないけれど、鈴木大拙の生地から林銑十郎の生地(ではないけれど。二丁目)へ移った。

ちなみに、第36回(2004年度)「ミス日本」のさがゆりこさんは北陸放送を創設した嵯峨家出身で、お爺さんが、金沢工業大学を作った人らしい。

嵯峨逸平 - Wikipedia

世界連邦運動協会石川県連合会長を務めたらしい。
田中耕太郎も関与している。なるほどという気がしないではない。

金沢三文豪にせよ、金沢の「表向き」のセレブは、エリートが「少ない」と言った方がいいのかどうか。加賀の三太郎も、西田、鈴木は「選科」出身で、エリートなのかエリートでないのか、実際問題として、選科出身は就職で差を付けられた。
嵯峨さんはエリートだよね。