Francis Sauveur(P.5)

 

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DeepL logo 翻訳ツールと Google翻訳で翻訳したものを勘案。

 私ははじめ気づかなかった。それでも、これは言っておかなければならないだろう。彼はと言えば、まるで田舎にでも行くような格好をしてきていたのだ。オイルクロスで包んだ小さな荷物を大事に左腕に抱え込んで、右手に枝を握りしめていたのだ。それに、赤白のバイカラーの大型のスパニエルはと言えば、1頭、脚にまとわりついたのだ。不愛想に見えたせいか、私への多少ひねた態度に見えたせいかはわからないが、今挙げたようなことすべてが、彼の外観を与えていた。
 私の前で立ち止まって、ようやく、活き活きとしてくったくのない表情に気づいた。そして、手を握りしめたいと切望していたが、結局、全身で抱きしめたのだった。

P.5,Francis Sauveur | Google ブックス

進まない。語学の中心にあるのが、論理なのか、文化なのか迷うのは、こういうときだ。これだけで、数ページのノートになってしまう。

文法ひとつとっても、”il faut vous(原型)”が”must”と英訳されたときのニュアンスのずれであるとか(mustには歴史的経緯から過去形がない。意味も禁止の否定の許可、可能から徐々に強い強制になった。)ここから、この言明は、著者が現在彼のいで立ちを振り返って説明していることがわかる。
それでいて、thatが対比が、カンマを挟んで並べられている。スパニエルには実は4種類いて、これは中型乃至大型で、猟犬でもある、イングリッシュ・スプリンガー・スパニエルではないかと思う。このとき、”grand”を growned とするかbigとするかlargeとするかでニュアンスが異なる。bigに比べ客観的なニュアンスを持つlargeを採用した。精悍さを兼ね備えた彼には growned とするか迷うが、そのような内実への感慨を含むものではなく、「勘違い」への説明であるから、短絡した原因を並べなければならない。
et”=andで並べられるには、同形態でなければならないが、”de sérieux”と”de posé”だとこれだけでは対置され得ないため、その後に続く”qui”以下は、”posé””への関係詞節を構成していると理解した。こうすると、いずれも形容的な内容を含んでいる。
それでも he changed  his pose to meだろうことを円滑に訳すとなると、何がどう”changeait”なのかピンと来ない。
しかし、それは、「勘違い」の文脈において、次の”franche”に繋がってくる。すなわち、”sérieux”は”expressive”と”posé”は”franche”と対比される。
そして、それは、”; et,”で締めくくられる。それは👇の方で考えたが、前節との対比ともなって、複合的な意味を構成している。ここでの彼の勘違いの「終わり」であると同時に、「熱望していた握手」の顛末でもある。その妙味を円滑に訳すことができるだろうか?

👇「白眼視」の故事に近づくことだろうか?

中国畸人伝

難しく感じるのは、なんとなく構文上も意味上も理由もなく、よく見せようと結果を先取りしてしまうせいだ。ここでも、「精悍な」とか「凛とした」とか、先ほどの「成長した」とかを無自覚に挿入してしまいそうになって、相当考え込む。

要は、山から猟師でも遠路はるばるやってきたのかと見間違うような雰囲気だったのだろうと思う。”Dagli Appennini alle Ande”は『母を訪ねて三千里』の原作(『クオレ』の一部分)だが、ちょうどこのような格好だったのではないかと思料する。これは、映画のポスターである。

Dagli Appennini alle Ande | Google画像検索

とにかく、1語1語を理解するのが、一苦労である。
機械翻訳は、物語のプロットを理解する補助としかなっていない。
つまり、高々この1小節がほとんど意味不明なのだが、

Je ne le reconnus pas d'abord ; mais il faut vous dire qu'il s'avançait vêtu comme pour aller à la campagne, portant avec beaucoup de soin sur son bras gauche un petit paquet enveloppé de toile cirée, tenant sa canne de la main droite ,et qu'un grand épagneul blanc et roux lui courait dans les jambes.

Tout cela donnait à sa physionomie je ne sais quoi de sérieux et de posé qui me le changeait un peu.

Enfin , quand il s'arrêta devant moi, je reconnus cette figure expressive et franche; et, l'ayant saisi avec empressement, je l'embrassai de tout cour.

つまり、単語の意味を掴もうにも、雲を掴むような話で覚束ないのだ。
単語の意味すらわからない。英語が「アメリカ英語」に云々という話を聞くのだが、いかに私たちの生活が「アメリカ英語」を理解しやすいか、わかる。辞書を見てなお意味が分からず悩むという経験があまりない。

https://translate.google.com/

なのだが、全文を訳しながら、単語の辞書検索が付いているので便利だ。
とにかく、フランス語から日本語に直接翻訳すると、ほぼ不明な文章ができあがるので、フランス語から英語に直すのが順当だ。
”campagne”はとにかく”country side”で、要は、愛息のフランソワが、パリへの「おのぼりさん」だったということだ。
その「おのぼりさん」ぶりの描写が続くのだが、この情景がつかめない。
”toile cirée” は cloth waxed でないかと思うのだが、全文を訳すると、「oilcloth」となる。これはアメリカンクロスとも呼ばれるらしいが、ワックスの効いたテーブルクロスのようなものである。

Waxed Cotton Trail Jacket Line | Shopify

500ドル(65千円)のこのアウトドア用のジャケットもワックスドクロスなのだ。
要は、「古着」なのか「テーブルクロス」なのかただの「生地」乃至「織物」なのか判然としない。
そうすると、9月のことなのだが、どうにも季節感がつかめない。まだ夏なのか、もう秋なのか。フランスにはアルプスがあるので、もう寒くなり始めたころだと、下山すると脇に防寒具を抱えているものなのかもしれないし、夏にしては厚着なので、田舎から出てくる人の「あるある」に、どこでも座れるようなゴザ代わりのものを持ち歩いているのかもしれない。

面白かったのは、検索していたら、こちらもShopifyサイトだが、

Oilcloth By The Yard | Shopify

”by the yard”という表現で、庭にでも敷くのかと思いきや、そうではなく、すなわち「切り売り」である。アメリカだと単位が「ヤード」なのでこういう表現と成る。日本で言う「たん」である。

それが次の”cane”に関わってくる。全文を訳すると「杖」と出てくるが、

What is about french cane that is so sophisticated yet farmhouse? Cane is one of those versatile materials that easily go from country to city and fit in just fine.

For The Love of French Cane | Erin Lane Estate

籠かもしれない。

pink 新装版

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だと(90年代風の)オシャレっぽくなるが、そうなのか?という話である。
「籠目」はディオールも採用したほどのインスピレーションに満ちている。

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こうなると、なんでもオシャレに見える。

(『クオレ』:『母を訪ねて三千里』の原作の該当部分)

しかし、「杖」はキリスト教にとってシンボル的な意味合いがあり、なにしろ、この物語の題名が ”Francis Sauveur” なのだ。フランシス イズ スーパースター である。

それはとりあえず次の展開を待つことにして、「切り売り」である。

Enfin , quand il s'arrêta devant moi, je reconnus cette figure expressive et franche; et, l'ayant saisi avec empressement, je l'embrassai de tout cour.

の ”tout cour” と関わってくる。”cour” が ”yard” なのかである。
全文の訳だと ”heartily” になってしまう。
確かに、あの意味するところはそうであるだろうが、拙速すぎるように感じる。
つまり、”l'embrassai” が kiss him なのか、hug him なのかである。全文の訳だと”kiss him” となる。要は、「熱烈なキスをした」という話になっている。

しかし、そのときに、”Enfin” が意義深いように感じるのだ。
いつもの、構文上の対比である。

très -désireux de serrer la main d'un ami 

前段の、

 ; et, très -désireux de serrer la main d'un ami , je songeais précisément à m'en aller trouver mon Francis, que je n'avais pas vu depuis près d'un an .

が、” ; et, ”で繋がれて、

  1. très -désireux de serrer la main d'un ami
  2. je songeais précisément à m'en aller trouver mon Francis
  3. que je n'avais pas vu depuis près d'un an

(叙述的には、1,2,3の順だが、)野矢図式で言うと、①+③|→② の合流論証となっている。Google翻訳で英訳、和訳すると、

  1. very eager to shake a friend's hand
    友達と握手したい
  2. I was thinking precisely of going to find my Francis
    私はちょうど私のフランシスを探しに行くことを考えていました
  3. I hadn't seen for almost a year
    一年近く会ってなかった

であるが、

”précisément”を単語検索し、同じように英訳、和訳すると、

  1. D'une façon précise.
    Répondre précisément.
  2. ELLIPTIQUEMENT (DANS UNE RÉPONSE)
    Oui, c'est cela même.
  3. Indiquant une concordance entre deux séries de faits ou d'idées distinctes.
    C'est précisément pour cela que je viens vous voir.

で、

  1. In a precise way.
    正確な方法で。
    Respond precisely.
    的確に答える。
  2. ELLIPTICALLY (IN A RESPONSE)
    楕円的に(応答で) 引用者註:これは「婉曲的に」だろう
    Yes, that's it.
    はい、それだけです。
  3. Indicating a concordance between two sets of distinct facts or ideas.
    2 組の異なる事実または考えの間の一致を示す。
    This is precisely why I come to see you.
    これこそが、私があなたに会いに来る理由です。

①が、②”songeais précisément” (was thinking precisely;正確に考えていた)の特に ”précisément”(precisely;正確に) の内容(詳細)を敷衍しており、③が経緯を敷衍している。

ここで、”Enfin ”が、このアスペクト(~ing)の目標(終算点)をマーク(表示)している。形式的に訳すと finally から「ついには」となりがちだが、単語辞書では、

  • After a long wait.
  • Last (in a succession).
  • Rather (to correct what we said).

である。「待望の後(末)」「最後(継続)」「結論としては(ただし、訂正のニュアンス)」くらいの意義だろうか。Rather には、比較して後者を(より)評価、逆説の含意がある。

このとき、”précisément” の 「切り売り」感が試される。

serrersaisi に関して、”tout cour”(全身)は 、”la main”(掌)と 、”de” を以て指示されて、対比されているように思う。そうすると、「握手」するつもりだったが、「抱きしめた」となる。英訳で出て来た ”heartly” は ”très -désireux” (英訳で ”very eager”  )から ”avec empressement”(英訳で ”with eagerness” ”eagerly” )へと共有される感慨の意訳と判断できる。

そして実は、これが、;(セミコロン)や接続詞(Donc、et)で繋がれてきた、最初の段末にあった

Pourtant, comme c'était un digne et généreux garçon, et pourvu d'assez d'esprit pour en prêter de temps à autre au hasard lui - même, qui n'en a pas toujours, je n'étais jamais étonné de le voir arriver pour peu que sa présence pût m'être utile ou simplement agréable .

「しかしながら(Pourtant, :However)」

n'étais jamais étonné de hasard lui - même

の「驚かなかった(n'étais jamais étonné:was never surprised)」と対比されている。
ここで読み取らなければならないのは、接続詞(Donc、et)の持つ説明能力である。


[メモ]文法について

https://cocotafr.com/subjonctif0

http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/fr/gmod/contents/explanation/042.html

https://fjjf.weblio.jp/content/sais

sais(savoir)は「知る」と動詞だが、「できる」と助動詞的に使われることもある。
saisiと関係があるのだろうか。

http://user.keio.ac.jp/~rhotta/cgi-bin/page_for_print.cgi?url=2020-11-08-1.html

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E_%E6%8E%A5%E5%B0%BE%E8%BE%9E

[メモ]文化について

キリスト教を理解するには、神学のほかに、聖書学が在る。

世界大百科事典 第2版「聖書学」の解説 | コトバンク

聖書学 - Wikipedia

聖書学の範疇になるだろうか、”hasard” に関してどう理解してきたかという問いに答えられるだろうか。

Que dit la Bible du hasard ?
聖書は偶然について何と述べていますか。
Réponses à des questions bibliques | Got Questions

そうすると、

  1. わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。
  2. 人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。

伝道の書(口語訳)-ウィキソース

フランス語、英語での比較も見られる。

Ecclésiaste 9:11-12 BDS|YouVersion / Life.Church

Ecclesiastes 9:11-12|YouVersion / Life.Church 

これがテーマだとすると、『フランシス・ソヴァ―ル』のラストで ”l'exclamation d'Horace” がどう理解されるか。

7:24
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

ローマ人への手紙 (口語訳)-ウィキソース

hasard” の説明の最後にこうある。

Les chrétiens, surtout, ont reçu la promesse que Dieu fait concourir toutes choses, d'apparence bonne ou mauvaise, au bien de ceux qui l'aiment et qui sont appelés selon son dessein (Romains 8.28).
特にキリスト教徒は、神を愛し、神の目的に従って召された人々のために、一見良いことも悪いことも、神がすべてのことを共にしてくださるという約束を与えられています(ローマ人への手紙 8:28)。

Réponses à des questions bibliques | Got Questions

見てみると、

8:28

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

ローマ人への手紙 (口語訳)-ウィキソース

フランス語では、

Romains 8:28 BDS|YouVersion / Life.Church

英語の比較では、

Romans 8:28|YouVersion / Life.Church

『フランシス・ソヴァ―ル』の「機知」と「驚かなかった」の説明になっている。
こうしてみると、意味の理解と、構文の理解が双方必要だと感じるが、特にキリスト教は、意味の理解から構文の理解へと発展してきたように思う。
〈の〉の発見者、「聖書文辞学者」であり言語学者である、ルターの先達には、オッカムがいたのだが、オッカムはイスラム神学(によるギリシャ哲学解釈)の影響を受けていて、多様化する「意味」の扱いから一歩抜ける理解をしていたのだろうかと想像する。ルターに於いて「意味」はすでに与えられている恩寵となったからだ。