[発話問題]

プロットしてみる。

発話[内容]

敷衍すると、

  • 可能命題
  • 朝鮮学校から[可能命題]と指摘された
    • それは事実ではない
      • ¬(北朝鮮アメリカの潜在敵国である)
        • ¬(ミサイル開発を行っている)
  • 義務命題
    • 金正恩にミサイル開発をやめろと言ってくれ
      • ¬(北朝鮮アメリカの潜在敵国である)
        • ¬(ミサイル開発を行っている)

という主張である。
興味深い複雑な構成を採っていて、大名辞、中名辞、小名辞の三段論法の内部に三段論法を持ち、北朝鮮アメリカの潜在敵国で〈あるべき(べきでない)/ありうる(ありえない)〉が分岐する、アマルガムな3-3論法となっている。この遷移を発話(捨て台詞)で行っている。

ひろゆきは、おかしな奴(発達障碍)だが、貴方にとって極めて残念なことに、馬鹿ではない。すなわち、

  • 発話行為の評価
    • 発話の評価
      • 発話内容(命題)

 

を同時に行うとき、「捨て台詞」(であること)が理解できないならば、社会的能力が乏しいのであり、捨て台詞(の内容)が理解できるのならば、北朝鮮の態度への評価を迫っているのです(それが社会的振る舞いとして「正しい」かは別です。彼は正しい社会的振る舞いが苦手なようです)。
なぜ、彼にそれができるかと言うと、まぁ、そういう能力なのでしょう。それが彼が発達障碍の奇行とともに誤解される原因でしょう。


 

を読むと附録にガリレオパラドックスが載っている。
自然数と平方数が1対1の対応であることからパラドックスを指摘したものだが、これを基に考えると、対角線論法はもっとシンプルだった。

要は、以下の2つの主張が含まれている

  1. ∀y∃x(y=x );xが1つに定まるとき、yも1つに定まる。
  2. xもyも自然数である。

このとき、具体例が大事だ、

  1. Double(1)=1,Natural(1)=1
  2. Double(2)=Double(Natural(2))=Natural(4)

このとき、2新小数を考えると、

  1. Binary-1(1)=0.11…~,Binary-1(2)=0.0112…~、Binary-1(3)=0.111203…~
  2. Rank(Binary-1(Natural()))=N,N=0(Natural()≦2),N=1(otherwise)
  3. Convert(1)=0,otherwise 1
  4. 0.01021304=Binary-1(Natural(4)),Convert(Rank(0.01021304))=1

要は、
平方数[番目]:2[2]→4[3]→16[5]→256[9]→~

のところ、

2進小数[番目]:0.001304[4]→0.0013140000000012[4×(24-2-1)=12]→0.001314111111111200~04092[4×(212-2-1)=4092]→~

でよいみたいである。

すなわち、

  1. ∃y∀x(¬(F(x)∧¬y)→y≠x);xが1つに定まるとき、F(x)も1つに定まる。すべてのF(x)が定まるとき(に限り)、yもただ1つ定まる
  2. F(x)もyも実数である。

これは、数の構成について、

  1. ((Pが数である→Pは順序を持つ)→Pは数である)→Pは数である

である構成を取るときに限り、「数である」が真であることだろうと思う。
つまり、「Pが実数である」が真のとき、「Pが順序を持つ」が偽であってもかまわないのである(その具体例が、「Pは自然数ではない(=Pは自然数に順序を持たない)」)。

【図】


例えば、

  1. √2+√3
  2. √2×√3

を比べて1が√x(ただし、xは自然数)と表示できないとき、それでも1がひとつの数であることを「無理数の和は無理数である」ことを証明したときに、無理数の構成が自然数の構成を真に条件としていない(すなわち、そのような無理数も「偽」でなく「真」である)。このとき、2(√6)も(無理数として)真であるから、(2は)真部分集合である。

 

さて、なぜ、対角線論法の説明が混乱するか。

  1. カントールがドイツ人である
  2. カントールが多少の間違いを気にしない説明をしていた
  3. デデキント、ベアノらによる、実数の定義や自然数の構成についての議論が活発となった時期と重なる
  4. ゲーデルなど、後の数学者に対角線論法が使用された
  5. 数学の教科書の解説がそもそも「言葉足らず」になりがちである。

ことから、カント―ルの説明方法の意義をそのまま認めやすいのではないかと思う。
1は「明晰でなければフランス語ない」に対義的な態度である。
5は、例えば、√2が無理数であることの証明、という有名な問題の説明に関して、定義的に「既約」と一言で済ますのみで、実際に無限小数の説明に至ることを説明しないことである。
英語の学習にしても、文法の前に、参考書の1ページ目で品詞の分類を学ぶ必要がある。数学の学習においても、教科書の1ページ目で数の分類について目を通して置く必要がある。このときどうして無理数無理数なのかが問われるのであるが、それはどうすれば無理数でないのかと裏腹である。
同じように、どうして「1対1」は「1対1」なのかが問われたのであり、どうすれば「1対1」でないのかが問われたのであった。ここで問われているのは(「1」よりむしろ)「対」と数の関係である(すなわち、関係を問うのが「対」であったが、「対」となることで、「関係」が問われたのであった。このとき、「∀」は「写」―という構成—に関して「すでに「在る」」ことを含意している意味論の問題なのであった)。

「All」と「Whole」の5つのルール
ニュアンスの違い, 日本人の怪しい英語 公開日2014.12.11
英語学習ブログ

 

where the a is used in such a sense that (x → y) → a means that from (x → y) every proposition follows. With that understanding, the formula states the principle of excluded middle, that from the falsity of the denial of x follows the truth of x. (Peirce, the Collected Papers 3.384).

パースの法則-Wikipedia

こう言えるだろうか?

戸田山も「付録」で対角線論法を説明する。

論理記号の操作に関してもっとも本質的な説明はこうである

  • 導入規則
  • 除去規則

のいずれも適切に踏まえなければならない。

問題なのは、∨の除去規則だ。これまでのようにA∨Bから

P.229,第9章自然演繹法を使いこなそう,第Ⅲ部論理をもうひとつの目でみる

を「∨の導入規則」と「∨の除去規則」の間に説明する。

【∨の導入規則】(∨ intro)AかBか同じ導出において以前に一項目として出てきているなら,A∨Bを書き加えてよい

(P.229,上掲)赤字強調は引用者。

 

つまり、「附録」であらためて説明していないが、対角線論法は、「1対1」の意味論を「(導入)規則」から説明しているのだ。無限集合を考えるにはそれが必要に「なる」ことが鍵である。実際にいくつかを数えて比較できないとき、無限に続くその、1対1の対応に規則の成立を見て、それを「数える」ことを以て「同じ」と見做すのである。
この教科書はかなり詳細に実践的な理解を説明しているが、「復活規則」「繰り返し規則」などにも触れている。
こうして諸「規則」から、対角線論法(特に、→の導入規則)、∀∃∀[同定](特に、⋀の導入規則、∨の導入規則)から成る「アリス文」が説明できるのであった。そこでは考える順序が求められているのである。

就中、「アリス文」に関しては、「内包」の構成に関して「偶有」の修辞と同義である理解が求められている。すなわち、修辞的理解と論理的理解の裏腹の関係を理解することが望ましい。


とりあえず、この程度の理解まで進んだ。自信はない。

ガリレオパラドックスユークリッドの第8公準「全体は部分より大きい」に疑問を投げかけたのだが、それからカント―ルは「RはNより真に大きな集合である」ことを対角線論法で示した。

ドジソンはアキレスと亀ユークリッドの第1公準を採り上げる会話から始める。

  • 逆に『AとBは真であることは認めるが、仮定的命題そのものは認めない』という読者はいないだろうか

    • それをCと呼ぼう

      1. AとBが真ならZは必ず真

      それを君のノートに書いてくれたらすぐに認めよう。
  • でもそれもまた仮言命題だろう?わしにそれが真だと思えなかったらAとBとCは認めてもZを認めないことがありうるのではないかな?
    • 結構だ、メモに書いたらすぐに認めるぞ。それをDと呼ぼう

      1. AとBとCが真ならZは必ず真

      ノートに書いたかな(「書きました」)。
  • わしがこれを認めるまでは、もちろんわしはZを認める必要がない。だからこれ(Eを書くこと)は、とても必要な手順だ、そうだな?

(PP.236-238,『数の国のルイス・キャロル』より)