戦前思想に棹差す「悔恨共同体」ではなく、戦後思想に棹差す「困難な共同体」を生きるわたしたち。
markovproperty.hatenadiary.com
ということで、親子関係をカントの道徳律を保持したケア倫理学で基礎づける準備ができた。寄り添おうと努力を続けるが、互いに個であるがゆえに(原理的に)決して寄り添うことの(でき)ない孤独感を抱く主体が共感を通じて孤独に至ることのない、コンポーネント(デザインされた構成要素)と幾何的コンポーズ(構成)である。
ここで、「デザイン」が規範であり、「幾何的」が倫理的である。
前者が方法論的ロマンチシズムに相当し、後者が方法論的ホーリズムに相当する。
各主体は、方法論的ホーリズムを方法論的ロマンチシズムで受容するはずであるが、如何。ジレンマをどう解消していただろう?
このプログラムを念頭に、
- グレース・クレメン
ケアの規範的な理想によって個々の自律の理想が必要であると主張し、ケアギバーがケアの関係において理想的に同意し、いくらかの自律性を保持し、また理想的にはケアレシーバーの自律性を促進するべきだと述べています(クレメン、1996)。 - モナ・ハリントンは、自由の理念がケア倫理にとってどれほど重要かを探りながら、女性の不平等がケアワークの低い社会的評価と供給に関連しているかを追跡しています(ハリントン、2000)。
機会があれば専門家を見てゆきたい。
心中がもやもやとする。
「未熟」ということで、それが発達に関係することなら、子の発達障碍の早期対処とともに親の(特に母親の;なぜかは知らないが、遺伝に関するエビデンスがあるのが母親なので。)発達障碍への早期対処も望まれるのではないかと思うが、それは脇においても、虐待には、
- 自己が虐待加害者と自認できずに虐待を繰り返す
- 自己が虐待加害者と自認できているが虐待を繰り返す
場合とがあって(1と2は架橋し得る。要は、虐待行為と気づいて後悔する。)、仮に2に近いようなら、夫との関係が気になるところだ。夫が(妻に対して)1であることはないのだろうか?
つまり、母親の制度的限界と母親自身の物語である。資質も大事な要素だが、その資質が発揮されるのが、制度(期待)であることを忘れてはいないか。
「子ガチャ」とは言えないが「親ガチャ」とは言える。「ガチャ」は自然科学の語彙ではなく、規範の語彙だからだ。責任能力が同じではない。
しかし、それは「母親ガチャ」とは限らない。子に対しては親だが、夫に対しては妻だからだ。夫婦は本質的に平等であることが、規範である。
親子が最終的に「対等」になることが家庭教育の目標であるはずだ。
「対等」を関係づける語彙が不足している。それはおそらく敬語のことではない。
雑感(パラフレーズ力が全ての源泉)
— 佐山竹彦 (@sayamatakehiko) January 5, 2024
入試問題の分析をしていると、〈文系の知〉の根底にあるのは〈パラフレーズ〉なのだと気付かされます。
言葉を別の言葉で言い換える力。
言い換えられた言葉に気づく力。…
パラフレーズか。なるほど。
どんな子であっても、人格形成期の小学生頃までは「IQ」や「学力」に偏った教育は危険だと思います。この時期にバランスよく「協調性」「コミュニケーション能力」「自立学習力」「体力」「我慢強さ」を育むと、中学以降で学力重視に舵を切ったとしても基盤の人間力は揺らぎません。
— 東京高校受験主義 (@tokyokojuken) January 5, 2024
気を付けたいのは、このツイートの方は塾の講師なんだけれど、
学校法人ではない、ということ。
かつてこういうものがあったときに、一方で、
markovproperty.hatenadiary.com
markovproperty.hatenadiary.com
塾、各種学校の乱立※を始め、様々な教育機会があったのであり、全国的に見てもミッション系の学校の進出が行われていた※。その一方で、帝大に対抗する格好で師範学校の躍進も目覚ましく、八大教育主張は大きく喧伝された。
※私の個人的な感想ではない。
「トモエ学園」もその系譜に連なる教育方針を掲げた学校のひとつだったのであり、卒業生に仁科賞を受賞した山内泰二が居る。
※金沢三文豪に帝大出身者が居ない。これだけの成功者で帝大を出ていないのは、当時、珍しかっただろうか?
markovproperty.hatenadiary.com
電車の運転手にも帝大出身者が居た。
9月、金沢高等小学校に進学、翌年には日本基督一致教会のミッション・スクール北陸英和学校に転じ英語を学ぶが、1887年(明治20年)にはここも退学し、市内の井波他次郎私塾で英語などを講じた。
学歴などの理由で失恋
四高を中退後上京して、紅葉門下に入ろうとしたということで、これも一種の「私塾」のようなことなのか、それ以上のことなのか、立身出世の経歴では、一つのコースと見做されていたのではなかったか。藤澤清造は、東京に出て成功した弁護士の書生になったが、こちらは、上京の手段と言ったニュアンスの方が近いか。彼は雑誌と演劇の方へ進み、小説を書くようになった。
徳田秋声は四高生の頃英語が得意だったというが、当時常識的ですらあった、英語の受験塾に通っただろうか?知らない。こういった英語の塾はもともと受験に特化したものではなかったが、受講生を集める為に変化していったようである。
今でこそSTEAM教育に「特別な才能」と冠されることが多いが、当時の英語の扱いは、どういったものだっただろう。そういう話である。
[論文題名]秋声ノート 2―西洋文学の受容[掲載誌名]早大教育学部学術研究(国語国文学) - nihuBridge
「エリート教育」と言えば古来古典を開くものと決まっているが、「英才教育」と聞いてイメージしやすいのがSTEAM教育であることが、ひとつの鍵であるように思える。
紫式部は漢文の英才教育を受けていたが。
IQと高等教育の関係については、終戦時にGHQの指導の下実施した試行もあったので(大学受験が知能テストに替わっていないのが、その如実な結果である。)、それを踏まえていないのは、かなり疑問である。この記事にある意見については、そのときの大学関係者の意見と比較されるべきであって、専門的な監修を受けていない。背景については「飛ばし記事」と断言してよいと思う。
私たちは、すでに、数多くのことを経験しているのだ。
私の大好きな小森和子さんも、高女とYМCAのダブルスクールであった。
産業界で成功した新進階層出身で、そういった都会の土壌を持って、大正デモクラシーの華である。
「168cmの中学生プレーヤー」田臥勇太に絶句。“練習会で起きた事件”を能代工メンバーが証言。「俺たちはユニフォームを着られなくなる」https://t.co/1m4WvrEjci
— 集英社オンライン (@shueisha_online) January 5, 2024
漫画『スラムダンク』山王工業のモデルともいわれる、秋田・能代工業高等学校。田臥勇太ら当事者の証言を元に、その軌跡に迫る。
やはり体育教育が先行していて、彼は今後二度と現れないかもしれないくらいの才能の持ち主でもちろん稀有なスターだったのだけれど、
プロに成ったら、圧倒的に八村さんのパフォーマンスがすごい(八村さんも高校時代3連覇で、もちろん良いチームメイトと指導者に恵まれた良いチームだったのだろうけれど、「さすが」だった)。
「天才育成」は長い人生の一コマであることを忘れてはならない。
体育はすそ野が広いことも特徴としてある。