要は、夏目漱石は、
レッシングに事寄せつつ、カント/ライプニッツの論争に触れていたのだ。
そして、漱石は、親友の大塚に平仄を併せて、カント批判の立場だったと思う。
しかし、それがライプニッツ的なのかというと、よくわからない。
ヒロイズムと言えば、ローマである。
すなわち、19世紀ドイツの「ギリシャ病」批判だったしれない。
- 『三四郎』もそうだが、それ以上に、『趣味の遺伝』と対で理解できる。
- 「三角四角」に拘っているが、「丸三角四角」を題とする禅問答(公案)ではないか(だから、俳句になる)。「四角で三角で丸い句?」(加賀の千代女)
など思った。
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ゼロの歴史について簡易な表にまとめようと思ったが、間に合っていない。
要は、幾何的論証においては、「論証」が主であって、「計算」は補助的説明に過ぎない「メカニズム」(規則を持った表示;例えば、図解もそれにあたる。)であるから、、例えば「0の三角形」が「ない」ように、本質規定からはずれるゼロは表示する必要がない、また、”×”のような演算記号も表示されなかった。
このとき1は本質であり(1は「数」でなく)、2が偶性を持つ最初の「数」であったが、それはここで初めて関係性を持って説明されるからである。
それから、「量化」するにしたがって、演算記号も整理され、ゼロも演算記号のひとつとして表示された。このとき、1も「数」となった。
最後に「数化」が訪れ、ゼロも数と成ったが、これは、数が「表示」の象徴と理解されるにつれ演算のテキスト化(それ自体が独立して説明能力を持つ文)と理解されるようになったからだと思う。具体的には、(極小概念の嚆矢である)小数概念の説明項として求められるようになったのが始まりである(ステヴィンの「はさみこみ法」には最初から極限概念が見られるが、従来の分数より説明能力があった※。反対に「量化」の段階までは、説明の補助に過ぎない。その典型がデカルトであり、超越数の扱いであった。これをニュートンは批判した)。
※彼の方程式論と「数は不連続量ではない」との主張は、カント流に言うならば、数が概念化された操作対象となっている(「物自体」というよりも、数それ自体が、説明能力を持つ)。
デカルトは、(幾何的論証の延長にある)明証主義であり、「ロジック」と「メカニズム」を平等に扱ったようである。そしてスコラ的なのは、媒介(付帯性)を認め(ストア範疇論;ソクラテス主義)、本質(基体)主義者だったろうと思う(アリストテレス論理学の完成者を目指したライプニッツと対照的。カントの批判した空間を物自体とみる立場の反対。しかし、カントはデカルト批判も行い、認識論を整理した)。
(むしろ、ゼロは、現代数学であらたな意味を与えられるようになった。)