なんと
第十一章『こころ』のイアゴーは誰か――御嬢さんの幸福
やっぱり、漱石と子規による男同士の"I love you"の世界だったのか。
オセロに対するイアーゴーの同性愛――あるいは女性否定のホモソーシャリティ――を認識するなら
やったぜ。
フロイトの弟子で、英国精神分析学会会長であるアーネスト・ジョーンズ博士(Ernest Jones, 1879-1958)に意見を求めたという。ジョーンズはこの劇を解く鍵は、イアーゴのオセローに対する憎悪ではなく、実は深い愛情だと示唆した。つまり、一種の同性愛的感情である。
ここではこの議論に拘泥しないが、一つの有力な解釈にはなり得るであろう。また、同性愛的感情とは言わぬまでも、イアーゴはオセローとデズデモーナに対して、一種の「尊敬の念」を抱いていたことは疑いがない。
男性同士の love が同性愛とは限らない。
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荒野 - 国立国会図書館デジタルコレクション
こゝろ - Wikipedia
「 我れ自身に於て嘆美すべきものを見出さずば他人を嘆美することは能はず」は、おそらく彼が強く影響をうけた「 智慧と運命」中のものである
「これまで不明確であった武者小路実篤の第一著書『荒野』の意味と位置づけを出来る限り明確にした。『荒野』はトルストイの説く原始キリスト教主義と文学者志望が微温的に融合した作品であった。学習院の同窓会誌などの資料などを用い、論証した。」(教員情報 - 瀧田 浩 | 二松学舎大学)
この武者小路の心境が、
One who loves the truth and you,and will tell the truth in spite of you.-Anonymous
に反映されていると見る。二番目の" and "は逆説だろう。
すなわち、" loves "と" tell "が「現在の他人に対してではなく未来の自分に対する義務の重視」(瀧田,上掲文の後に続いて)から、"(一番目の)and "と" in spite of "が「理性( 経験主義科学的精神)に対する、智慧、愛、善( 無意識裡より発する精神)の優位」(同じ)から、対比される。
in spite ofは優劣を付ける言葉である。
【語源はdespectus(軽蔑)】「in spite of」「despite」の意味と覚え方【語源を絡めて記憶力アップ】|まいにー【毎日、English!】
in spite ofの意味・使い方|英辞郎 on the WEB
これは、トルストイを信奉するものの、そのための具体的な関心が「明治末のヒューリスティックな作家である」(P41,瀧田)夏目漱石(『野分』)や国木田独歩(『牛肉と馬鈴薯』)や藤村(『破戒』)へ向かった実篤が、それら既存の文学モチーフを「原理」と「手段」の天秤にかけたとき、それがバランスせずに、ついには「原理」も放棄するに至ったということらしい。
「彼は既成文学の継承をやめ、また無条件の前提になっていたトルストイ主義的認識態度も保留するようになる。 」(瀧田,P45の結論)
『荒野』の後の話である。
こうして、実篤が漱石の強い影響から離れてゆくとき、明治が終わり、漱石は『こころ』を書いた。『荒野』は明治41年(1908年)、『こころ』は大正3年(1914年)である。
ここで思い出すのは、弟子の鈴木三重吉で、鈴木は漱石の(藤村に刺激されて、あらためて奮起した)維新的な気概に辟易としていたことを思い出す。実篤ら白樺派は乃木希典を毛嫌いしていたのである。
鈴木三重吉は言葉に拘った人であり、「中央語」「地方語」の不成功の後は、「本当の幼児(の言葉)」で童話を創作しようとして、ブームを起こした人であった。
そのような『こころ』が『オセロー』からインスピレーションを得ているというらしい。
次に第2の論点としたいのは、いわゆる「appearanceとrealityの乖離」についてである。英文学史上、ルネサンス英文学期の頃から、人間の持っているappearanceとreality の一致が揺れ始めてくるとされる。
むしろ思い出すのは、漱石と子規の間の手紙である。これは「フロイト的でない」と言えるようだ。
" I love you "が同性愛に限らない(、『ロミオとジュリエット』で参照される、youとtheeの違いからくるのとは異なる)理由である。
明治とともに死んだのは、乃木希典だけではなかったのである。
フロイトの主張は、19世紀の科学革命の一翼を担い、アメリカにシカゴ学派を生む一方で(人間を「(自然:神の)目的」から解放された「対象」と見做すには、「確率」と「心理(無意識)」の考えの発展があって、「統計」で結びつく必要があった。☟)、20世紀の主要な政治運動であった。
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文学はまだまだ政治の目隠しから解放されなければならない。
☞ フロイト自身の主張はもはやそれほど信じられていない、いや、一般的にひとつのオカルトとみなされていると言ってよい。
重要なのは、それが、新しい何かしらであったことだ。
また、だから、対抗的であったことだ。それが大きな力となった。
その意義を考える時、上杉らが、大陸哲学の直接の影響の下、「天皇主権」を打ち出した意義がわかるのである(ここでの話題に敢えて寄せるなら、上杉らは「原理」重視、美濃部らは「モチーフ」重視である。したがって、私は、瀧田の主張に潜む、当初の実篤の志向であった「愛国」「」への蔑視に違和感を抱く。「愛国」が優れていたのではない。当時にあっては単純に切り離せないだけである。上杉はむしろ「近代」寄りで、美濃部はむしろ「近世」寄りだったと考える方が自然である。上杉は「地方政治」寄りで、美濃部は「中央政治」寄りだったとも言える。そういったことが混然としていた時代だったのである)。
革命思想でなければ、当時にあって蔓延する多様な近世思想に対抗して、(女性の大学進学、選挙権について)「男女の機会均等」が言い得なかったということである。
吉野作造にあっては(女性の大学進学に関して、保守論壇的な)現状追認しかできなかったことが特筆されてよい。それぞれの意義が「あった」ということである。
そう言えば、ともに、女性の政治的権利と縁が深いのであった。
人間にとって「自分とはちがう意志や感じ方を持った、自分と同等の権利を持つはずの、主体としての他者」をそれとして認め尊重できること
コンラッドは、「王制国民主権国家」だった、元祖コモンウェルスcommonwealth、ポーランド・リトアニア共和国が周辺国に分割された後の、ロシア占領地で生まれたらしい。
文学史にしても、西暦だけで表記するのは、本当に止めた方がよいと思う。
何か重要なことを見落としていると思う。
どれだけ毛嫌いしようが、当時は、年号で理解すべき歴史があったのである。
何を嘯こうが、それはただのイデオロギーであって、イデオロギーである以上、歴史を隠す。それに対抗するには、並記で相対化するしか技術的には「ない」のであった。
なるほど。勉強になる。感謝。