藤澤清造と横光利一

 

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同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。(略)私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横ぎり始めたからです。
(五十三章)

現代文教室

要は、「黒い光」を「罪悪感」とする通説は読解上の(単純な)誤りで、明言していないが私が意訳すると、暗い将来(=自殺)のことだろうと言うのである。
このとき、Kと私は、重なり合っている。
こうなるともう、藤澤清造根津権現裏』そのものである。

ここで、再び、ヘルマン・エビングハウスを引用する。

He whose eye is so keen that he sees the dead in the grave sees no longer the flowers blooming.  

(太字強調、赤字、下線は引用者。以下、同じ)
「見る」ことの特権性、すなわち、主体的な意味について述べている。

これは、 藤澤清造根津権現裏』(1922年・大正11年)のラストである。
要は、”the flowers blooming”が、「流れおちてくる濃汁の音といつしよになる刹那に、眞黑」にかわっていることが、夏目漱石を間に挟むと、わかるようになった。
「恐怖」の宗教的意義づけである。シェークスピアカトリックだったが、藤澤は浄土宗だったのだ(どちらもそれほど熱心だったかは、知らない)。
むしろ、藤澤の方が、シェークスピアに近いじゃないか、となるーいや、それはあくまで、夏目漱石を間に挟んだがゆえに言えたことであって、誤解であるが。
そして、心理学のつながりで、『グレート・ギャツビー』を見ると、

The Buchanans’ house floated suddenly toward us through the dark rustling trees. Tom stopped beside the porch and looked up at the second floor where two windows bloomed with light among the vines

Fitzgerald, F. Scott. The Great Gatsby . Kindle 版. 

「光」にかわっている。

Google翻訳では、

 

ブキャナンの家は、暗いざわめく木々の間を通り抜けて、突然私たちの方に浮かびました。 トムはポーチのそばで立ち止まり、2 階を見上げました。そこには 2 つの窓があり、ブドウの木の間で光が咲き乱れていました。

 

となる。
他方、グロタンディークは言った。

現在、本人には全く必要ではない花で埋められている、場所ふさぎなこの「死者」に対しても

PP.625-627,訳者あとがき,『ある夢と数学の埋葬』

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日ー英ー仏ー米の違いが出ているのか、時代の違いか。
気のせいだろうが、グロタンディークとワルラスには、比較的近い感受性を覚える。


 

リンカーンは若いころにジョシュア・フライ・スピードという友人とともに暮らし、さらには夜に同じベッドで睡眠をとっていた。この生活は4年間続き、スピードのほかに別の友人も同じ部屋で生活した時期もあった。スピードとの特別な友情は彼の死まで続いた。極めて親密ではあるが性的行動は介在しない同性との関係はロマンティックな友情と呼ばれ、当時の西欧社会では珍しいことではなかったが、妻のメアリー・トッドとの関係がやや希薄であったとの資料もあり、歴史家の中にはリンカーンバイセクシュアルであったと考えるものもいる(Sexuality of Abraham Lincolnを参照)。

エイブラハム・リンカーン - Wikipedia

リンカーンセクシャリティについては知りようがないが、クルト・ゲーデルの夫婦と比べると、ともに内向的な夫と外向的な妻のカップルだが、その顛末は対照的である。

憧れによって模倣し鏡像性を示し、同一化を願うこと。などであった[2][5]

[2]『近代日本における女同士の親密な関係』 赤枝香奈子 角川学芸出版 (2011/3/1)
[5] 雑誌『尐女の友』にみる「尐女」文化の構造 今井あかね

エス (文化) - Wikipedia

赤枝の著作は、博士論文らしい。評価が割れるようだ。
男性の研究はないのだろうか。