天皇制批判の(法学的)常識 "oath"and"pragmatically"

 

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  1. エラマン(ハッシー夫人)が(プラグマティストだったのか、或いは)シカゴ学派だったのか
  2. にも関わらず、公式文書で消された内容は何だったのか
  3. 彼らがアメリカ合衆国憲法に足りないものは「国民主権」だったと考えたか
  4. 彼らは、コロンビア大学教授のカール=シャウプと同じように理想を実現しようとしたか
  5. (戦前に、新渡戸稲造吉野作造らと並んで寄付講座を担当し、アメリカ合衆国憲法に関する研究と講義をした)美濃部は、終戦時、GHQに招かれたにも関わらず、なぜにべもなく扱われたか

カール・シャウプ - Wikipedia

 

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再び、ホッブスとロック。カントの認識論から。

 

 

まぁ、小説家が、戦後(1970年)に、言っていることですから。
大川周明よりも北一輝なら、まだ理解できますが。おそらくただの時代的な気分でしょう。

実際には、美濃部が「革命」を起こしたと思います(それが孫弟子たちによる「8月革命論」を準備した。法的レジテマシーの変更です)。

ただ、宮城事件が成功して居れば、結果的に、天皇は暗殺されていたんじゃなかろうか(もちろん、声明上は、天皇を推戴していたが)?軍はかなり社会主義に近づいていましたし、そうでなくても、新仏教に近づいていましたので。そもそも天皇との緊張関係(暗殺ではありませんが)については、上杉からあった発想ですし。

上杉は「ダラカン(現実的妥協主義者)」の吉野と違って、革命理論がわかっていた(ただし、普通選挙の反対から、容認、積極的賛成に転じるなど、社会状況に応じて、豹変する。それもまた理想主義の一面であるー理想に変わりはないが、現実の方はかわってゆく)。

2.26事件の頃は、まだ、そこまで煮詰まっていませんでしたね。