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- エラマン(ハッシー夫人)が(プラグマティストだったのか、或いは)シカゴ学派だったのか
- にも関わらず、公式文書で消された内容は何だったのか
- 彼らがアメリカ合衆国憲法に足りないものは「国民主権」だったと考えたか
- 彼らは、コロンビア大学教授のカール=シャウプと同じように理想を実現しようとしたか
- (戦前に、新渡戸稲造、吉野作造らと並んで寄付講座を担当し、アメリカ合衆国憲法に関する研究と講義をした)美濃部は、終戦時、GHQに招かれたにも関わらず、なぜにべもなく扱われたか
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再び、ホッブスとロック。カントの認識論から。
有馬頼義は「二・二六暗殺の目撃者」で、二・二六事件は革命などではなく、天皇制の打倒を目指さない革命など理論的にあり得ないと述べている
— 小谷野敦アンチTRA🦖 (@tonton1965) November 14, 2023
まぁ、小説家が、戦後(1970年)に、言っていることですから。
大川周明よりも北一輝なら、まだ理解できますが。おそらくただの時代的な気分でしょう。
実際には、美濃部が「革命」を起こしたと思います(それが孫弟子たちによる「8月革命論」を準備した。法的レジテマシーの変更です)。
ただ、宮城事件が成功して居れば、結果的に、天皇は暗殺されていたんじゃなかろうか(もちろん、声明上は、天皇を推戴していたが)?軍はかなり社会主義に近づいていましたし、そうでなくても、新仏教に近づいていましたので。そもそも天皇との緊張関係(暗殺ではありませんが)については、上杉からあった発想ですし。
上杉は「ダラカン(現実的妥協主義者)」の吉野と違って、革命理論がわかっていた(ただし、普通選挙の反対から、容認、積極的賛成に転じるなど、社会状況に応じて、豹変する。それもまた理想主義の一面であるー理想に変わりはないが、現実の方はかわってゆく)。
2.26事件の頃は、まだ、そこまで煮詰まっていませんでしたね。